生命観

はじめに。地球の歴史47億年。生物の歴史35億年。「ヒト科」の歴史600万年。「ヒト科-ヒト属」の歴史250万年。「ヒト科-ヒト属-ヒト種」(ホモサピエンス)の歴史20万年。日本にホモサピエンスが住みだしたのは4万年前とか。人生100年間のちっぽけさを感じざるを得ない。。。また、「ヒト科の歴史600万年÷生物の歴史35億年」=0.17%≒2.5分間in1日24時間でわかるように、人間の歴史自体が生物の歴史からするとつい最近のこと。

客観的生命観。地球上の自然を構成する基本要素はエネルギー・水・空気・物質だ。それらはエネルギーを駆動力にして時間的・空間的に流動・変化を繰り返すが、それらの最小単位である元素の総量は地球上で見れば一定(水・空気・物質もエネルギーとすれば、世界は基本的にはエネルギーが形を変えて循環しているだけ!)。生命とは私自身の命を含めて、この4つの要素のダイナミックな循環を構成するひとつの「渦」で、大きな循環の中でひっそりと誕生し、一定の時間、動的に平衡状態を保つが(人間の場合、物質的に1年間でほとんどが入れ替わりながら80-100年間程度、生命を維持するが)、命を全うすると、大きな循環の中に淡々と戻る(ミクロ的視点)。一方で、マクロ的視点でみると、自然は全体として不変だ。人間は、4つの基本要素の大きな循環の中の1つの「渦」であるという点においては、動物、植物、微生物、石ころと何ら変わらない。

主観的生命観。ところが、人間は、このちっぽけな「渦」に大きな脳(サルの脳の重さが総じて400gであるのに対して人間の成人では1200-1500g)を装備し、前述のように、「渦」(自然の生々流転の一コマである自己の身体)の上に、自己意識・自我を持つに至り(←生物的には大進化!)、その脳の想像力を生かして、現実世界に加えて、各種想像世界(過去、将来、倫理・規則、他者の心、各種概念、自らの価値観等)を持って自己を中心とした天動説的でにぎやかな世界観を脳内に築いている。「渦」間のコミュニケーションを含めてそのにぎやかさゆえか、結果として、自然の生々流転の一コマ/ちっぽけな「渦」である自己の身体について自己所有感を確立している(「自己の心身は当然にして自分自身のもの!」と思い込んでいる/信じて疑わない)。また、人間は、進化の過程(脳の巨大化)で、時間の概念を得て、自らがいずれ死滅することを知り(人間の真のユニークネス)「死とは何か?」「人生とは何か?」と色々と思い悩む。それらは、人間以外の動物から見れば不遜な問いかけで、(人間世界での哲学的・宗教的な「心の置き場」としての解釈は別途あるにせよ)科学的・生物学的視点/自然界の客観的真実の視点/高校レベルの常識視点で客観的・冷静に考えれば答えは共に単なる進化の過程であるにもかかわらずだ。。。この様に、悲しいかな人間は、自分自身の身体に対して自己所有感を持っているので自己の死を大きな問題と捉え、また、人生に意味づけを強引に/無理やり求めてしまう。「自己所有感は幻想」。これがブッダの教えの核、つまり悟りではないのか。また、 「脳内世界は空」。それに腹落ちした境地を仏教では「無明の闇」を破った世界と言うのでないか。 (完)