総括1

卒サラの1年間を振り返りたい。サラリーマン生活と卒サラ生活とでは想像以上に違い、経験して初めて実感したことがいくつもある。新たな環境の中で自分自身を満足させるのは結構大変で、発想の転換・大胆な切り替え・再組立てが必要と思う。

・物理的な動きに変化なし。2拠点生活(2週間@箱根峠-1週間@新中野、100km/90分間を月3回ペース、移動時に清掃・整頓)を継続。新中野のマンションだけでは間が持たなかった可能性大、もっとも、新中野のマンションだけでは還暦引退の選択肢もなかったかも!? なお、2拠点生活で旅行のエネルギーを吸い取られるのか、(妻Tが就業中なこともあり)旅行したいとはあまり思わない。

・失業保険の給付を受けていた5ヵ月間は引き続き「縛られ感」があったが、2023年6月に給付終了になり急速に「自由感」が広がった。

・生活の軸が、仕事のルーティン→家事となり、衣食住(家事)に積極関与して生活のリズムを作るようになった。料理のレベルが一定程度上がった。主たる活動はプロジェクトベースになり、母のコロナで2年遅れの3回忌+関西の親戚接待@箱根峠、夫婦間贈与+納税事務、5年ぶりのiPhone買い替え等デジタル関係更新、長男の会社の第1回決算・納税事務、独身の叔母の相続案件、おひとり様の外国人の遺言作成対応、賃貸中の実家の売却案件、借入返済等によるバランスシート改革、(継続的な)ブログ運営・大家業・農園・庭メンテナンス、等に対応した。

・身体の経年劣化は本格的に60才代で始まると感じる(冬に不注意で転倒したが、怪我の治りが遅い!)。ゆえに、いっそうの健康対応が必要と言うことで、Apple Watch装備、ジム入会、自己アレンジによる健康診断体制確立(←インフルエンザ予防接種をしなかったところ、しっかり罹患!)、ロードバイク整備、等の手を打った。なお、健康保険は、2023年7月に任意継続→長男の会社発給に変更した(任意継続は月5万円以上と負担が大きかった)。

・良好な夫婦関係(相手の心を相互に読みながらオープンなコミュニケーション、つかず離れず)、適切な家事分担(人間は本来飽きやすく集中力が低い=命にかかわらなければ無理をしないので、極力細切れにして阿吽の呼吸で得意分野を分担するとストレス低い。また、生活リズムを作るために家事実行は必要でもある)が大切と思うようになった。

・過去を総括すると、組織(学校18+会社37.5年間)を軸とした生活で、意識してなかったが最大のテーマは、資本主義(効率至上主義、貨幣価値中心主義、もっともっとと煽り煽られる雰囲気)社会を生き抜くことだったことがわかる。

・シニアライフを楽しもうとすると(そのおかげで社会発展が実現したことに感謝しつつも)資本主義発想は邪魔で、「寄り道」や(非貨幣価値ベースの)自分独自の満足感が重要とわかる。なお、人間は、(自己の生命が守られている前提で)自己よりも他人のために頑張る方時に力が出て満足感が得られる傾向があり、資本主義的な損得勘定はむしろ邪魔。そんな中で「資本主義社会を生き抜くこと」に代わって見えてきた大きなテーマが「人間を突き詰めること」。

・人は他の動物比、1)自己が死ぬことを知っている(人間オリジナル!)、2)多くの人は「睡眠+食事+運動+メンタル=健康」と理解し、自身の健康に能動的に働きかけることができる、3)過去の蓄財で生き延びることが可能な社会・経済システムを持っている、4)高いレベルで安全を確保した住居に住んでいる、5)家族関係に加えて友人関係(人間オリジナル!)通じて複層的で広範な脳内世界を構築する(友人の世界・人生を追体験、また、自身の世界・人生も他者に提供→これこそ、人類の文明発展の仕掛け)、6)自身の能力開発に能動的に働きかけることができる、7)目の前の現実を認知・表現するだけでなく(他の動物は障害を負っても目の前の現実に対応するだけだから落ち込まない)、過去・将来や概念(含む宗教)まで認知・表現することができる(他の動物も言語は持っているが表現する中身が違う)。これらを理解すると、人間が人間を突き詰める方向性が見えてくる。生命・健康・財産・住居・家族・友人・能力・認知。

・シニアライフでアップサイドを狙っていくには特に、友人関係と(ちょっと踏み込んだ)コミュニケーション能力が重要。ただ、(特にコミュニティー型組織で一緒だった)友人と昔話をしていても効果は低い。常に新たなフィールドを開拓し続けることが前提で、自身は他者に提供できるネタを継続的に磨き続ける必要がある。具体的には、人間の認知・表現力を踏まえて、多方面に経験・思索・能力を深める姿勢が大切。コミュニケーションツールとして英語も引き続き必要だ。もう、うまくやる必要はなく、如何に深く関われるかが満足感につながる。

・脳内の情報が少なくなって、直観力は向上した(チャンスをチャンスと感じ即決・行動開始する余裕・余力がある)ように思うが、ネガティブバイアス(進化の過程で、ネガティブな情報に注意を向けリスク感度を恒常的に高めるDNAが生き残ってきた)には困ったもの。些細なネガティブ情報が脳内に拡大されて居座る傾向を感じる。自らの特性に沿った対策が求められる(心配事の97%は実現しないとのこと)! 如何に楽観性をキープするかが課題。

・死の準備を含めてその人の人格・見識。状況に応じて、周囲に過度な迷惑が掛からないように、資産整理+遺言、死後事務サービス、生前サポート(身体的and/or脳的劣化対応)のアレンジが求められる。

・他の動物比の視点で人間を突き詰めていくと(人間オリジナルとして)宗教に突き当たりる。宗教は、人間の奥底のふあふあとしてところに「鉄板」を敷き詰めるようなもの。特定の宗教を信じると、強いが軽い(深みのない)イメージの人間になりやすい。一方で、「型から入り型を破る」を実践し、一度敷き詰めた「鉄板」を自らが突き破った時に初めて人格的・人間的な深さが得られるかもとも思う(つまり、教義に従っているだけではイマイチ感がある)。仏教は、葬式宗教・文化として必要とは思うものの、その中途半端感から(仏教の各教義は、ブッダの人間への深い洞察に到達する飛び石的なもの。だから、色々な宗派=飛び石がある。飛び石としての一定の価値を認めるものの)宗教としては大いに懐疑的(その実、三大宗教と言われるがキリスト教やイスラム教とは規模感で大きな差)。個人的には神道※に程よいフィット感を感じ、また、(仏教には懐疑的ながら)ブッダの人間への深い洞察に強い関心がある。

※ 神道には教祖・教義・救済はない。神道では自然(八百万の神)が超越的存在で、人間はそれを単に感じつつ自己対話するだけだ。つまり、救済(含む境内での祈願)を求めても救済は無く、祈願は自己対話で、自然/八百万の神に聞いてもらうだけだという建付け。超越的存在(自然/八百万の神)に対する畏怖の念を抱いて生きる(=自然に宗教心/一方的な信仰心をもって生きる)ことで、 心の平穏を得る。もっと言えば、自己自身が(人間は自己認識や自由意志を持つ=発達した人間の脳が色々と考えるものの、所詮)自然の一部であることをしっかり認識するということだと理解している。ブッダの言いたかったことも、突き詰めればこのポイントではないかと思っている(神道とブッダの方向性は同じだろう。仏教はブッダの方向を捻じ曲げている面がある)。

・年金ネットでこれまでの厚生年金積立額がわかる。労使折半を踏まえれば、その倍がファンドの大きさと考えることができる。また、退職金が運用され企業年金原資となっている。日本の大手企業を勤め上げれば、その公的+私的年金ファンドの総額は1億円程度になっているイメージ。その使用イメージは400万円x25年間=1億円。持ち家であれば、卒サラ@還暦後も、細々とやっていける。

・お金については、「慣性の法則」を打ち破り、(とりあえず)蓄財モード→(人生を豊かにするためにメリハリの効いた)放財モードへの切り替えが必要。資本主義は、現在の一種の宗教。宗教であれば、前述の通り、教義に従っているだけではイマイチ感から抜け出せない。「型から入り型を破る」を実践し、資本主義の恩恵に感謝しつつも、その限界およびその奥の世界(日常生活で見過ごしているもの)をしっかり見れるようにすることが重要だ。

・銀行預金に数千万円以上持っている人を知っている。一方で、私は、資産は実質的には不動産と年金資産だけで、限定的な銀行預金+借金をして(レバレッジをかけて)投資不動産保有だ。見える経済世界がちがうだろうと推察。さて、今のポジションをどう変えて、如何に自分に合うように変えるかが課題。(人生を豊かにするためにメリハリの効いた)放財モードへ切り替え!