ネットで「カルトに対する規制が甘い日本はカルトの穴場で、カルトの世界的な吹きだまりになっている」というコメントに接した。また、日蓮宗が、そのHPで、「カルト宗教の勧誘に注意してください。カルト教団があなたを狙っています」として、カルト宗教の特徴を、「①選民思想~自分たちを特別な存在だと信じる。②終末思想~世界が滅びようとしているという。③被害妄想~自分たちが悪の勢力からの攻撃を受けているとする。④運命転換~自分の運命(病気・人間関係などの悩み)が変えられるという。⑤疑似家族~孤独なあなたに仲間と居場所を提供しますという」と説明している。信仰は本来、依存的ではなく主体的なものであるが、カルトは真逆で、信者から主体性を奪い、依存型の人間を組織的に生み出しているということか(≒カルトの教祖・教団comes first)。
日本でカルトが繁栄が反映する理由は、1)戦前・戦中の日本が事実上の国教ともいえる国家神道を国民に強制し天皇を強引に神格化して、戦争遂行への総動員体制を敷いた反省があり「信教の自由」(憲法20条)を意識してカルト規制に及び腰。2)日本人の宗教を捉えるフレームワークが多くの他国と異なっており、開祖・教義・救済の無い神道を軸に、複数の(開祖・教義・救済のある)宗教の部分を「つまみ食い」するようなソフトな宗教観が日本では主流であり、カルトの「腕力」が通じやすい と思う。理由はともかく、安倍元首相の銃撃事件(旧統一教会問題)を契機に、カルト宗教につき、抜本的な議論・対応が必要であることが国民的コンセンサスになったのではないか。当面、被害者救済がテーマの様だが。。。
なお、私の宗教観は以下の通り。本来、各人は「既製服」の宗教ではなく、「オーダーメイド」の個人哲学(←高度に発展した長寿社会における人間の人生そのもの)を真摯に磨くべきと思う。一方で、人は開祖・教義・救済をストーリー・パッケージとして語る宗教というものに残念ながら手っ取り早く耳を傾けやすい(→傾倒する人は、他者が作った腹落ちするには難解な教義・ストーリーを理解してそれを実践することに多くのエネルギーを使ってしまい、自身の個人哲学追求の余力を失い、多くの場合、強いが薄っぺらなイメージの人間になってしまう。また、場合によっては前述のカルト宗教等の術中にはまって身動きが取れなくなってしまう)。日本人は、一般に、八百万神(やおよろずのかみと読むが、文字が言うのは8 million Gods!)を生んだ気候風土の中で、歴史を通して蓄積された生活の知恵なのか「宗教とつかず離れず」と曖昧な宗教的態度をとりながらも「宗教心」を総じて大切にする(深入りはしないが意識はする/参考にするイメージと理解)。個人的にはそれを(宗教を捉えるフレームワークが世界の主流である一神教と異なっているがユニークでその気候風土にマッチした宗教的態度として)ポジティブに評価している。
ようやく、自らの「宗教観」ができた! 次は、「人間観」をまとめたい。「科学的・生物学的視点で言えば人生に意味などなく単なる進化の過程」と言っても始まらないので。。。
【今日の1日】5時起床。朝食。情報収集by新聞・TV。夫婦間家計情報共有手法変更。単独での移動準備。朝風呂。仕込み料理。昼食。新中野宅ー箱根峠宅。セットアップ。夕食。 当面、1人合宿@箱根峠宅!