私が理解しているブッダのストリーは以下の通りだ。ブッダは国王の子供として生まれ、将来の国王となるために日々厳しい教育を受けた。しかしブッダが生きる苦しみを自覚して、それを克服するために修行僧となるのが良さそうだと考えた。修行僧の道を歩き始めたブッダがまずしたことは苦行。ひたすら苦しい修行を行い生きる苦しみを克服しようと考えた。ただし、残念ながら、6年にも及ぶ苦行でもブッダは悟りを開くことはでず。苦行に見切りをつけたブッダが悟りを開くために新しく始めたのが瞑想。苦行に耐え続けることでは生きる苦しみを解消できなかったブッダは「生きる苦しみはどこから来るのか?」と考え、自分が何を苦しいと感じて、それはなぜ苦しいのかを知るために、じっと黙って自分の心を観察し続けた。その結果、「生きる苦しみは自分の心が生み出しているものにすぎない」という気付きを得た! これがブッダが悟りを開いた瞬間だ。
卒サラ後、私も自己の心の動きを観察する機会が増え、実態は目の前にある現実だけで(人間以外の動物の世界観)、過去も未来も各自の頭の中にあり(人間の脳は物語製造機)、心がそのような認識をベースに苦しみ・喜びを感じるているにすぎないと思うようになった。要は、人生は心の一人芝居(全ての苦しみ・喜びは心が生み出したものに過ぎない)なのだ! 私も、ブッダと同じレベルに到達した!?
人は、生き延びるために脳をレベルアップさせ他者と協力する方向で進化を続けた。で、1.3万年前に、ホモサピエンスが食物連鎖の絶対的頂点達して、以降文明が形成されいった(世界人口でいうと500万人→80億人と垂直的発展)。急激に発展した文明社会と脳の関係をしっかり考察する必要がある(脳が育った環境と結果として出来上がった環境=文明に大きなギャップがある。1.3万年程度では脳の進化は環境の変化に追い付いていないのだ←遺伝子に大きな変化が起きるまでには数万年が必要)。人生での精神世界対応は極論すれば二者択一で「(哲学)ブッダのように人間≒脳とは何かを自力でトコトン考察する」or「(宗教)特定宗教に全権委任する/非科学的な教義を受け入れる」だ。宗教は後者で人生の攻守の要(心の平穏+生きる推進力)を費用対効果高く(自らの主権を放棄して他者の世界観を受け入れる)得ようとする(哲学に比べて極めて)あんちょくな賭けと言えるが、私が目指すのは前者だ! 人類学と脳科学の知見を梃子に、脳が想定する環境と実際の現代文明環境をギャップへの考察を深めれば、道は見えるはずだ。
【今日の1日/曇】6時半起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。朝食。ルンバ清掃。箱根峠-昼食@海老名-新中野。長男Sと合流。大相撲観戦。夕食。就寝。(一言)結構ヘビーな初雪@箱根峠!
【短期目標=方向性】身体↑+心の制御↑(心の平穏+生きる推進、顕在意識⇔潜在意識、Must軸→目的・目標軸、人間≒脳≒心に対する洞察)+「道具+技術+知識・思考=生活・実行=習慣」↑【中期目標】INPUT⇔OUTPUTの好循環→ブログコンテンツ蓄積↑(言語力)。箱根峠宅の庭構築・利用↑(空間力)。家計認識・運営↑(数字力)。【長期目標】人生の結章:ブログ→「卒サラ@還暦してわかった人間≒脳≒心!」を出版(内省力、科学的知見を梃子に「人間の深み」を哲学する)。ファミリーツリー運営+自然と共生。【メモ】70才まで9年弱、80才まで19年弱、90歳まで29年弱(初孫28才)、100才まで39年弱。