2日前のブログを読み返して、引っかかる言葉をピックアップ。自分自身の認知活動をより客観的にとらえてみる。
箱根峠/自然環境 箱根峠に土地を手当してから4年、家が竣工してから3年が経過。ここで感じる「自然」は人生観を変えたと言えるかも。「人間は単に自然の一部で、奇跡的に意識を持っている。富士山を拝む」という感覚をナチュラルに持つようになった。
各種年金受給権等一定の経済力 狩猟採集時代(経済的ストックが不可能)には無かった貨幣の価値貯蔵機能と年金制度(国、企業=退職金の年金払)で、シニアライフでは必ずしも「ライスワーク」することなく、人生の収穫期を送ることが可能になった。ありがたい。
情報インプット/アウトプット力 これは人生の収穫期に欠かせない。一定の余裕感の中であらためてじっくりと、人から、本/メディア/ネットから、経験から学び/インプットし、それらを自分なりに咀嚼した証としてアウトプットをする。シニアライフの大切な軸だ。
懸賞論文入選2回・不動産投資セミナー講師3回 そういえば、昔から、レベルは低いがアウトプット活動には興味があったことを思い出した。三つ子の魂百まで!?
農園運営2年間on-going 自分で農作物を育て料理して食べる経験が契機となり、食認識に革命が起こったと言っても過言ではない。食が「生きるためのエンジン」であることを心底理解したし、そのイメージが「妻Tが作ってくれる料理を食べる」から一気に「第一次産業-(加工業)-流通-冷蔵庫-料理-食器-食事-生ゴミ/コンポスト-肥料」と広がり「人間は単に自然の一部」という認識にもつながり、料理に対する興味も深まった。生きることは食べることだ!
全体感を維持しつつも今に意識を集中(着眼大局着手小局) 人間の脳は狩猟採集時代を生きている感覚/前提で、生き抜くために、意識を過去・未来に飛ばしながらリスク管理上ネガティブな情報をどんどん供給してくる(過去こんな失敗をしたゾ-気をつけろ/事態が悪化すればヤバいことになるゾ-気をつけろ等)。一方で、現代は脳が想定するほどリスクはなく、現代人に求められるのはブッダの言う「第二の矢を受けるな」(自然発生的なネガテイブな思いつきに付き合うな/上塗りしてネガティブ度を深めるな)であり「今に集中」だ(現役時代は仕事で「今に集中」を結果としてできていたかもしれないが、シニアライフになると仕事という強制的な枠組みが無いので自分自身で意識的に持つ必要がある)。一方で、安心して「今に集中」するためには、定義は難しい(!)が何らかの「全体感(全体観/大局観)」が欲しいところ。「全体感」の言語化が今の課題のひとつだ。哲学の世界!? 妻T曰く「私には全体感はない。あるがままの今を受け入れるだけ」。僧侶みたい。。。
日常生活習慣 これには色々な側面がある。①シニアライフでは主たる活動の場(←職場)、②シニアライフではそれ自体が目的(←手段)、③最近の考えでは、動物的な「感情→行動/目標達成」ルートに加えて、人間として「意図した日常生活習慣→行動/目標達成」が重要ではと思い始めている。色々な目標を達成するにも、精神世界(心の持ち方)をレベルアップするにも、よく考え抜かれた日常生活習慣が有効と分かってきた。要は、日常生活習慣が目的であり手段でもありシニアライフそのもの。日常生活習慣の作り込が今の課題。
今の宿題は「全体感」の言語化と「日常生活習慣」の作り込み!
【今日の1日】5時起床。朝食。情報収集by新聞・TV。ブログ書き。朝風呂。庭メンテ(1万歩、3時間)。昼食。農園-ゴルフ練習場-ガソリンスタンド。夕食。風呂。 (一言)TVドキュメンタリーで、在ペルー日本大使公邸占拠事件を見た。1996-1997年か。。。四半世紀前、ロンドンに居た時だ。