上書き

狩猟採集時代の「残像」が現代社会によって深く上書きされて消えかかっているものは何か? 狩猟採集時代の「残像」とは、私たちの遺伝子、脳、感情、行動傾向の奥底に刻まれた人類の原初的な生活様式や価値観の名残り。そして現代社会の構造、テクノロジー、文化、制度は、こうした「残像」の多くを覆い隠し、あるいは無効化しつつある。

①身体感覚との深い結びつき。。。かつて:自然の中での移動、狩り、採集を通じて、五感と身体は常に鋭敏であり、生存と密接に結びついていた。現代:椅子に座ったまま視覚偏重の情報処理を続ける生活。身体感覚(特に嗅覚や触覚)は過小評価され、退化しつつある。②共同体による相互扶助と平等性。。。かつて:小規模な集団(20〜50人)で資源を共有し、誰かが独占すれば仲間によって是正された(例:ギフト・エコノミー、共有の倫理)。現代:格差、所有、競争、階層が常態化し、「孤立」「自己責任」の論理が支配的。③即時的なフィードバックと意味ある行動。。。かつて:行動の結果(獲物が獲れるか否か)はすぐに明らかで、生きる意味や喜びが行動と直結していた。現代:仕事の成果や生活の意義が抽象的かつ遅延し、虚無感や「生きがいの欠如」を生みやすい。④自然との親密な関係性。。。かつて:気候、季節、動植物の動きに常に注意を払い、自然は「敵」であると同時に「共存相手」だった。現代:自然は「管理される対象」となり、都市生活者は自然を喪失または娯楽化している。⑤沈黙・間(ま)の重要性。。。かつて:自然の中での静けさ、焚き火を囲んだ黙想の時間など、言葉に依存しない時間が多かった。現代:SNSや会話、広告により「沈黙に耐えられない社会」が形成されている。⑥複数の役割を果たす柔軟な存在。。。かつて:人は「専門家」ではなく、狩人であり調理者であり語り手でもある多面的存在だった。現代:「職業人」として役割が固定され、多様性より「効率」が求められる。⑦老いと死への自然な受容。。。かつて:老いや死は共同体のなかで共有され、死は自然な循環として捉えられていた。現代:死は隔離され、医療化・施設化され、人生から切り離されている。⑧遊びと学びの境界の曖昧さ。。。かつて:子どもも大人も、遊びを通じて学び、生活に直結する体験を楽しみながら身につけていた。現代:学びと労働が「義務」として制度化され、「自由な探究心」が抑制されやすい。

これらの「残像」は、完全に消えたわけではない。キャンプに行ったときの高揚感、人との深い語り合い、自然の中で感じる安心感などに、ふと立ち上がる記憶として残っている。では、なぜ残像は消えかかっているのか? ①社会の複雑化・分業化、②テクノロジーによる生活の抽象化(脱身体性)、③資本主義の「成長と競争」モデル、④人口の都市集中と自然からの隔絶、⑤教育とメディアによる価値観の均質化。心の平穏のためには意識的調整が求められる。

【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。朝食。不動産対応。7人ランチ@丸の内。8人宴席@神田。阪神タイガース観戦。(一言)阪神、ロッテに連勝。

【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか by 今井むつみ・秋田喜美

【OUTPUT】マンダラチャート維持

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