人間初段

過去のブログで、人間が人間を突き詰める方向性は、生命・健康・財産・住居・家族+友人・能力・認知とし、理由は「人は他の動物比、1)自己が死ぬことを知っている(人間オリジナル!)、2)多くの人は「睡眠+食事+運動+メンタル=健康」と理解し、自身の健康に能動的に働きかけることができる、3)過去の蓄財で生き延びることが可能な社会・経済システムを持っている、4)高いレベルで安全を確保した住居に住んでいる、5)家族関係に加えて友人関係(人間オリジナル!)通じて複層的で広範な脳内世界を構築する(友人の世界・人生・価値を感じ、また、自身のそれらを他者に提供→これこそ、人類の文明発展の仕掛け)、6)自身の能力開発を能動的に行うことができる、7)目の前の現実を認知・表現するだけでなく(例えば、他の動物は障害を負っても何事も目の前の現実に対応するだけだから落ち込まない)、過去・将来や概念(含む、宗教等のストーリー)まで認知・表現することができる(他の動物も言語は持っているが表現する中身のレベル感がまったく違う)」とした。

人間が人間を突き詰める時、次の「昇段」ポイントは<1>「心の平穏を得るために(特定の)宗教を信じる人間が存在する現象(←人間特有)を自分の言葉で説明できるか」<2>「神道のユニークネスを自分の言葉で説明できるか」だと思う。

<1>私の考えでは、心の平穏を得る方法は究極的には二者択一で①「ブッダのように人間≒脳とは何かを自力でトコトン考察する」or②「特定宗教に全権委任する/非科学的な教義を受け入れる」ということだ。(特定宗教に)入信するとは(無意識的だった可能性も含めて)①を志向した人が途中でその努力をやめてor「迷子」になり、②特定の宗教を信じることになるということだろう。言い換えれば、人間≒脳は奥が極めて深いが深めきれずに、深める途中に「鉄板」※(=特定宗教の教義)を心の底に敷いて、それより深いところに歩を進めることをやめる/しないようにすることだと思う→だから、強いが浅いイメージの人間になる(私は、大乗仏教はブッダの教えが深すぎて理解できる人が少ないから万人受けするようにブッダの教えの途中に「ゴール/教義/信じる対象」を設定したと理解している。なお、私は「ブッダのように人間≒脳とは何かを自力でトコトン考察する」を志向している)。

※ 真に深みに到達するには、「鉄板」に「型から入り型を破る」アプローチが必要。結局は「ブッダのように人間≒脳とは何かを自力でトコトン考察する」と同じような感じになるはず。

<2>以上を理解すると、(一般的な宗教と違い教祖・教義・救済のない)神道は、いわゆる世間でいう宗教とは少しちがうことに気づく。神道では自然(八百万の神)が超越的存在(宗教は何らかの超越的存在を設定している)で、人間はそれを単に感じつつ自己対話するだけだ。つまり、救済(含む境内での祈願)を求めても救済は無く、祈願は自己対話で、自然/八百万の神に聞いてもらうだけだというフレームワークだ。信じることは何もなく、単に、超越的存在(自然/八百万の神)に対する畏怖の念を抱いて/感じて生きる(=自然に宗教心/一方的な信仰心をもって生きる)ことで、 心の平穏を得るということだ。私を含む多くの日本人はこのパターンだろう。結果として、日本人は、一神教(絶対神と契約するイメージ。含む、何らかを信じることを教義に含む大乗仏教の各宗派)的には無宗教が多いが宗教心(神道の場合、自然/八百万の神に対する畏怖の念を一方的に抱いて生きる)はあることが多く、世界的にユニークな宗教観を持っていると言われている。

【今日の1日/晴】6時起床。家事一般。情報byTV・新聞。サイト運営。SNS受発信。朝食。ゴルフ(含む、昼食)。夕食。就寝。(一言)箱根峠では、石油ストーブ等器具利用スタート!

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