動物の大前提は、食・寝・性、つまり、個体として長く生きて子孫を残すこと(生存&生殖)。動物は、食うか食われるか・狩るか狩られるかの世界において、これを、より確実に行うように進化してきた。
(600-500万年前)2足歩行で手が使えるようになり道具の使用が可能になるとともに脳を大きくしやすくなった。250万年前ほど前に(今の人類と大きく変わらない)初めての人類が現れた。(180-80万年前)火を利用するようになった。火のひとつの利用方法が調理で、加熱して胃腸への負担の少ない形で食事ができるようになり、脳によりエネルギーが使えるようになった。結果として、「手+脳=道具の継続的高度化」ハード面のレベルアップが進んだ。弓矢が発明された3万-1万年前と言われる。
一方、ソフト面では、他者とコミュニケーションをとりながら協力して獲物を獲得するため(←個体としてひ弱な人間の生き残り策)の機能が発達していった。具体的には、よりスムーズなコミュニケーションのために他者の心を読みとる/他人の心に寄り添う必要があり、他者の精神活動を自分自身の精神活動として脳内でシミュレーションし、同時に自分自身の精神活動と他者の精神活動とが混乱しないように自己と他者を明確に区別する必要があった(今の我々にとっては当たり前の機能)。人間以外の動物の脳内世界は各個体の中で完結しており、個体を越えて干渉することは/他者を思いやることは極めて限定的と言われる(もしあっても単純なレベル)。言い換えれば、人間以外の動物は、(多少の例外はあるかもしれないが)脳に組み込まれたプログラムに基づき個体として無条件反射的に行動/環境に反応しているだけなのだ。この脳内での自他区別の結果として、人間は「世界・自然から自分を切り離した自己認識(自己と外部世界・他者を区別して認識)・意識を確立した。人類の心の独創的な機能が誕生したのである。例えれば、自分で自分をコントロールする飛行機の「コックピット」のような機能が備わったと言えるかもしれない。その後、その「コックピット」にある計器には、他者の精神活動に加えて、自己の情報※も種々示されるようになり、それらに基づいて総合的に思考して行動を主体的に選ぶ(臨機応変な自由意志)/外部環境に自由意志で反応する体制を確立していった(自然から分離独立!)。この「コックピット」こそが人間の人間たる所以だ。(なお、これらは左脳で行われるようで、右脳は論理より感覚重視のようだ。「コックピット」が熟慮/マニュアル・直観/オートマチック版の2つある!? 人見知りは他者の心を理解がうまく出来ないことに起因し、赤ちゃんの人見知り期にこの人間特有の「自他分離認識」が芽生えると言われている)
※ 五感からの感覚、無意識からの感情、過去(記憶)、現在(目の前の現実。目で捉えた視覚情報は神経を通って脳内の視覚野に入り処理され、我々は今見えているものとして認識。この処理に約0.1秒の時間が必要。つまり、現在は0.1秒前の過去!)、未来(シミュレーション)等。また、過去-現在-未来を扱う中で、人は(他の動物にはない)時間の概念を獲得し、科学革命の中で詳細を確定させた。さらに、「コックピット」は、想像世界や抽象概念等(含む、他者比較、自尊心、後天的に得た価値観)も扱えるようになり、人間が幅を広げていくことになる。蛇足ながら、人は、「コックピット」にある計器で示された情報をもとにした思考・決定・行動を重ねて個性・人格をつくるのだろう。
併せて、具体的なコミュニケーション能力自体、つまり言語の開発も進んだ(最初の言語は10-8万年ほど前に出現したと考えられている=ネアンデルタール人よりホモサピエンスがそれまでの流れを極めた)。最大150人の集団でお互い協力し合って獲物を捕らえる時に使う言語・コミュニケーション能力だ。前述の他者の精神活動理解およびこの具体的な言語・コミュニケーション能力が、身体能力・脳の容量においてまさるネアンデルタール人(十数人単位で生活していた)に勝てた大きな理由と言われている。なお、前述の「コックピット」を使って想像世界として神や輪廻の概念(→宗教※※)や神話等を生み出し、それらを言語・コミュニケーション能力を使って共有し150人の枠を超えて(共感の輪を広げ)より多くの人を束ねてパワーを集積(神話・宗教+国家・貨幣等)していったと考えられる。人間は、「コックピット」の想像機能と言語・コミュニケーション能力を駆使して想像世界を広く共有して、個体を束ねてコミュニティ-全体に渡り知的な/統制的な活動を発展・継承できるようになった。ホモサピエンスは他の動物比、超おしゃべり! また、他者の心の状態を斟酌し、適時・適切なコミュニケーションができる個体がコミュニティ-内の地位を高めていった。
※※ 究極的にはユダヤ教、キリスト教、イスラム教等の一神教。その神は理想の唯一な存在。どんな奇跡でも起こせ、すべての人間の祈りを聞き、すべての人間を天空から監視し、人間に善・悪を示す。創造者、全知全能、絶対善。実に大それたイメージなものが本当に存在しているかどうかはともかく、人々はそんな神を想像・共有するようになった/できるようになった。蛇足ながら、「人間は神の下に平等」は良いが、唯我独尊・排他的なのが一神教の欠点。一方、多神教は寛容。日本の七福神はインド・中国・日本の神々のチャンポン!ただ、残念ながら「人間は神の下に平等」みたいな強力なパワーは無い。なお、仏教に神はなく悟りを求めること/悟ることが大切とう価値観。ソフトだが難解でその解釈はまとまらない/多岐にわたる。
このような発展の結果、1.3万年前、ホモサピエンス(20万年前に現れた)はネアンデルタール人(30万-数万年前)を退け、食物連鎖の頂点(食うか食われるか・狩るか狩られるかの世界から脱出、世界人口500万人)に立ち、1.2万年前に狩猟採集生活から農耕定住生活に移りその勢いを加速させ、500年前からの科学革命で更に加速度的に文明を築き上げて現在に至っている(世界人口は産業革命前夜で7-8億人、現在80億人)。
「ホモサピエンスが食物連鎖の頂点1.3万年間」÷「人類の歴史250万年間」=0.52%≒7分間in1日24時間。(通常、生物の進化は、かなり長時間をかけて起こるが)この文明の発達は、人類史を1日とするとほんの数分間の出来事でなので、進化/DNAが追いつけるわけがなく、人間の心身は、ほぼ狩猟採集(食うか食われるか・狩るかかられるか)生活(農耕生活の200倍超の期間)の時のままと言われている。具体的には、リスク情報として(起こった状況に事後的に反応していては対応が後手にまわりやられる・殺されるリスクが高くなるので、将来の特に悪いシナリオを色々と想定して心身の準備しておいた方が生存確率が高まる/そのような遺伝子が生き残ってきた)、前述の「コックピット」の計器には過去・未来にわたり悪いシナリオの情報※※※が頻繁に示される(→現実の現代社会のリスクは低く、心配事の97%は起こらないのが現実!)。
※※※前述の「コックピット」には、1日6万回も情報が示されるようだ(→だから、閃きがある/夢を見る)。そのほとんどが、自由意志の結果ではない自動的な(五感や無意識から発せられた)感覚・感情であり、かつその8割はネガティブで、しかもその95%は前日と同じ内容と言われる。脳の想定と今の人間が置かれた環境には大きなギャップがあり、現代社会の安全度を踏まえて、人間は根源的に過度な不安症と言える。ブッダは、第一の矢(自然発生的なネガティブな感覚・感情)を受けるのはやむを得ないが第二の矢(さらに心配事を過去・未来に広げて積み重ねる事)は受けるなと忠告した(人類史・脳科学の知見が限定的な2600年前に、ブッダは洞察・瞑想によってポイントをついた!)。
ついでに言うと、死は、(各宗教が、自己意識と時間の概念を得て未来・死後を想像できるようになった人間の不安に付け込んで色々と「物語」を語るが、)ハード(肉体)の死滅に伴って、肉体を物質として世界・自然に返し(大政奉還!)、ハード(脳)上にソフトとして機能していた「五感・無意識・意識システム」(≒前述の「コックピット」)が単に消滅するだけの話。まさに、これが仏教が言う「空」(世界は空なりと観ぜよ=世界は脳内/意識の中にあり死とともに消える=自己意識と時間概念を確立したが故に人間はその死が怖いと感じるだけ=自然の一部である自分を自分自身のものと勘違いしている!?)の世界なのではないだろうか。 仏教は、ブッダのコメントはシンプルなのに後世の人が複雑難解にしたと思う。 例えば、ブッダは輪廻思想など認めておらず、後世の仏教を盛り上げたいと思う人が死後の「物語」をつくる道具として利用したのだろう。一神教の神同様に、本当に存在するかどうかはともかく、ブッダ以降の人がそのような概念(輪廻)を共有して人々をまとめあげようとしたのだ。
【今日の1日】5時起床。朝食。情報by新聞・TV。SNS受発信。ブログ書き。YouTube。昼食。YouTube。ブログ書き。夕食。(一言)右肩打撲の治癒に時間がかかる。。。
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