科学がなかった時代に「人間を観察し、気づきの重要性を体系化した」という点で、ブッダは人類史上まれに見る知的巨人。しかもその洞察は、宗教的な啓示ではなく、徹底した内省と観察から導かれた点に独自性がある。ただし、ブッダの「自分で観察して気づく」境地に達するには相当な内省力と精神力が必要であり、理念が高潔すぎて大衆化しにくかった(修行僧中心の体系であり、在家信者は功徳を積む形で関わるしかなかった。これが上座部/小乗仏教の限界)。これを反面教師とした大乗仏教は、心理的なハードルを下げるべく「阿弥陀に帰依せよ」「観音を信じよ」といった信仰の回路(「信じろ」)を入口に設け、多くの庶民が仏教に関与できるきっかけとした。しかし、現実には「信じろ」という入口・きっかけから「気づけ」というブッダの核心へ進める人はごく少数であり、多くは「信じる」レベルにとどまっている。その結果、「信仰宗教」としての大乗仏教は広がった一方で、ブッダ本来の「気づきの道」は一部の実践者に細々と受け継がれるにとどまった。結果として、ブッダを中心とする初期仏教と大乗仏教とのギャップは大きくなっている。
【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。オイルうがい。朝食。朝ヨガ。料理(パラパラチャーハン)。昼食。買物。料理(鯵の三枚おろし)。大相撲観戦。7人宴席@千駄ヶ谷。就寝。(一言)交流は有意義! 情報交換、気づき。。。
【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)自律性を整える。Tarzan 特別編集
【OUTPUT】マンダラチャート維持
