仏教の限界

創始者とされるブッダの基本メッセージが「気づけ!」であり「信じろ!」ではなかったからであろうか、仏教には、キリスト教やイスラム教のような信じるべき唯一絶対のはいない。仏教では、「仏」=生き方のお手本がゴールイメージされる。言い換えれば、絶対でなく「仏」を核・ゴールとした「世界観」で人々を制御しようとする宗教だ。

このように仏教には本来、信仰(信じる)の対象がなく、悟りを開き、解脱することを目的とする(宗教というより)哲学だが、日本に伝わった仏教の多くは印を出て中韓を経て、この原点から逸脱し加工され、釈迦如来・菩薩等、何等かを信仰する(信じる)ことを求める大乗仏教だ。ブッダの「気づけ!」と真逆のベクトルである「信じろ!」としていることが矛盾①だ。つまり、何等かを信仰する(信じる)ことを求める=教義(善行を尽くせ、念仏を唱えろ等)があるということ(矛盾②)では(信じた神と契約する)キリスト教やイスラム教と同じで、加えて、本来の「気づけ!」の試行錯誤許容性を押さえつけている(矛盾③)。大乗仏教は、このように矛盾が重なり、それを包み隠そうと(?)難解な言葉等で抑え込んでいるので、分かろうと努力しても、分かったようで分からない感覚が最後まで残る。「世界観」で人々を制御するには、あれもこれもとなり必然的にそうなるのかもとも思う。キリスト教やイスラム教のように、絶対の慈悲を得るためには、信者には果たすべき義務・規範が明確にあるとするのと対照的だ。

結論的には、個人としては、葬式宗教として使わしてもらうとともに、(詳細議論を前提に)受け入れ可能な道徳的価値観をつまみ食いすれば充分という認識だ。提示される「世界観」全体を宗教として反論の余地がない状態で受け入れるほどの価値があるだろうか? たとえ、大乗仏教の「信じろ!」を極めても、さらに原点の「気づけ!」に回帰せねばならず、さらに相当な時間が必要なのだ。。。であるならば、仏教にアプローチするとしても、最初からブッダの基本メッセージである「気づけ!」と向き合えばよい。実際、昨今、日本の仏教界で宗派を離脱してブッダの教えと直接向き合おうとする寺院・僧侶もでてきている。幸い、脳科学・人類学の科学的知見が昨今豊富になってきた。宗教は、科学以前の時代の心の制御ツールであるならば、科学時代には、科学的知見で心を制御することが可能で、その大いなる可能性を、個人的に卒サラ後に十分に感じた(ネガティブバイアスのことを知っただけでも視野がパッと開けた感じがした)。実際、昨今、一流アスリートはメンタルトレーナーをつけて心を科学的知見で制御しようとしているケースが多い。(再掲)宗教は科学以前の時代の心の制御ツールである。

確かにブッダ的に「気づけ!」と言われも実践することを難しい。科学以前の時代、多くの人を巻き込む/誘導する(=大乗:あらゆる人々の救いをめざす大きな乗り物)には、何等かの信仰(信じる対象)が必要悪/中間ステップ/核として認めるべきという発想はわからなくない。仏教に限らず宗教は、科学以前の時代、人に「心の平穏」「生きる推進力」を与えるツールであり一定の成果はあった(それに時の政府が悪乗りしたケースは多々あった)。今は、脳科学・人類学の科学的知見が豊富で、宗教の前提が崩れているので、生き残っている宗教は「慣性の法則」(=過去の遺産)で存在していると言える。ただ、中東のイスラム教や、アメリカの(トランプを支持する)キリスト教福音派等の原理主義の思い込みが激しいことから明らかなように宗教の大きなパワーは健在で、それが世界の紛争のタネになっていることも多い。思い込みこそ宗教(←宗教では、正しいorNotでなくて信じるかorNotがキー。脳科学の知見によると、人が宗教にのめりこんでいる時に動いている脳の部位と、バクチ・賭博をしている時に動いている脳の部位は同じとのこと。宗教は、信じること=自らの「主権」を放棄して他者の世界観を受け入れることによって「心の平穏」「生きる推進力」を得ようとする賭け)の本質なので、宗教は科学以前の時代の遺物と言っても、実際に人類がそこから抜け出すのは簡単ではない(卑近な例では、安部元首相を殺害した山上容疑者の母はいまだに旧統一教会を信仰していることがあげられる。誤解を恐れずに言えば、宗教依存症≒ギャンブル依存症)。数十年後、AIの自己認識・人格が語られるようになり、人間が自らをもっと客体視できるようになると、この強烈な思い込みから抜け出せる!?

【今日の1日/晴】6時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。朝食。証券会社関連整理。昼食。昼寝。庭整備。向こう3年間の家計シミュレーション。大相撲観戦。夕食。就寝。(一言)昨夜は、私がたこ焼き23個を作った!

【短期目標=方向性】身体↑+心の制御↑(心の平穏+生きる推進、顕在意識⇔潜在意識、Must軸→目的・目標軸、人間≒脳≒心に対する洞察)+「道具+技術+知識・思考=生活・実行=習慣」↑【中期目標】INPUT⇔OUTPUTの好循環→ブログコンテンツ蓄積↑(言語力)。箱根峠宅の庭構築・利用↑(空間力)。家計認識・運営↑(数字力)。【長期目標】人生の結章:ブログ→「卒サラ@還暦してわかった人間≒脳≒心!」を出版(内省力、科学的知見を梃子に「人間の深み」を哲学する)。ファミリーツリー運営+自然と共生。【メモ】70才まで9年弱、80才まで19年弱、90歳まで29年弱(初孫28才)、100才まで39年弱。

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