余白や余裕という概念は、文明社会特有の発展段階で生まれた副産物。狩猟採集時代(≒脳の残像)の人間にとっては「想定外」な感覚。① 狩猟採集時代における「余白」の非存在。。。狩猟採集社会では、日々の活動の目的は極めて明確。「食べる」「眠る」「身を守る」「繁殖する」といった生存そのものの循環の中に生きており、「余白」や「余裕」という時間的・心理的な概念はほぼ存在しなかった。ただし、一見「余白がない」ように見えて、自然のリズムそのものが余白を内包していた。狩りの成功・不成功により、自然と休む日があった。火の周りで語り合う「夜の静寂」には、人類最初の「余白的時間」が潜んでいた。つまり、意図的な余白ではなく、自然に生まれる間(ま)だった。② 農耕・文明化に伴う「余裕」の誕生。。。農耕によって生活が安定化すると、人間は「未来を想像」し、「計画を立てる」存在になった。この段階で初めて、「時間の管理」「生産と消費のバランス」「休息の意義」といった抽象的思考の余地が生まれ、「余裕」という概念が文化的に形成された。つまり、「余裕」は生存が確保された後の認知的贅沢です。これはまさに狩猟採集の「残像」の想定外の進化結果。③ 現代人における「余白=原初への回帰」。興味深いのは、現代人が「余白」や「余裕」を求めるのは、実は狩猟採集的リズムへの回帰欲求でもあるという点。絶え間ない情報・予定・効率に疲弊し、「間」や「静けさ」の中でしか、本来のリズム(=生命の波)を感じ取れなくなっている。つまり「余白」は、狩猟採集時代には無意識的に在ったが、現代では意識的に取り戻さなければならないものになった。
要約。狩猟採集時代には、自然に埋め込まれていた「間」が想定外だが存在していた。農耕・文明期には、生存安定により各種概念化が可能になり、計画・休息・文化の萌芽が起こった。現代社会では、意識的に創出すべき対象となり、心の再生・人間性回復の場となった。「余白・余裕」は、狩猟採集的リズムが文明化で失われた結果、現代人が再発明した人間性の装置。
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