心に余裕が戻ってきたので、出版企画再開。まず、このブログで書き溜めたエッセイ―を読み返してみた。で、構成を考えてみた。
タイトル 「卒サラを意識したらまず手に取る本」
はしがき 自己紹介。卒サラ@還暦(2022年)後、世の中にあるシニアライフに関す知見を自己を利用した「人体実験」で確かめ、(真に腹落ちした)事項を共有。「適度な刺激がある心穏やかな生活」が今の人生目標。
世界観 2020年から始めた2拠点生活(東京と箱根)で実感する文明(人間圏)vs自然(自然圏)。還暦まで生きた(競争的)世界vs還暦前後から見えだした(非競争的)世界。他の動物は現在のみvs人間は現在・過去・未来を持つ。自然圏でのヒトに対する洞察(特に心に対する洞察)を深めないと人間圏で心穏やかな生活が送れない(苦しみを感じるのも喜びを感じるのも心である)。ポイントは、心≒脳。自己を含めてあらゆるものが商品となる資本主義に一線を引く部分が必要/拡大する必要がある。
歴史観 人間は、生物種としては「動物界-脊椎動物門-哺乳綱-霊長目-ヒト科-ヒト属-ヒト種」。600万年前にアフリカでチンパンジーから分岐したヒト科動物が進化を続け、250万年前ヒト属が現れ、(火をはじめ各種道具を発見・開発・利用するようになり生存確率を高め、)20万年前にアフリカでヒト種/ホモ・サピエンスが出現し、10万年前から全世界に拡散し(このあたりで言語を習得し、コミュニケーション力・想像力=そこに無いものを知覚する能力を高め)1.3万年前に食物連鎖のトップに君臨。1.2万年前に狩猟採集生活から農耕定住生活に移り生物圏を脱して人間圏(文明)を構築した。さらに、500年前からの科学革命で更に加速度的に文明を築き上げて現在に至っている。
人間観 脳の機能を拡大し、また、他者との協力すること(その過程で他者理解と自己認識を共に深めた)を梃子に食物連鎖のトップに君臨し文明を構築・運営している。人間は人の間にいる時に輝きを発する(性を生殖目的に加えてコミュニケーション目的にも利用)。自然の一部ながら自己意識・自己管理力・自己所有感を持つ)。将来に自己が死ぬことを知っている。脳・心の働きを高度・複雑に進化させ、他者と協力できるようになったが、一方で、「心の置き場」に右往左往している。伝統的に宗教がそこに救いの手を差し伸べてきたが、昨今では脳科学等の科学的知見が蓄積され、それらをベースに各自が独自の哲学(人間観、「心の置き場」)を展開しやすくなってきた(宗教に関して、最近では世界・日本で、「心の置き場」に関する提案力よりも、弊害の方が目立つ)。なお、ブッダは2600年も前に、科学的知見によらず(また、修行によるものではなく)極端な経験を通じて得た洞察力で何に気が付けば心穏やかになるかを発見した/に気づいた※。
※ 人間の体は、物質的には1年間でほぼ入れ替わるように、明らかに自然の一部だ(自然からすれば、個体が死滅すれば、それを構成していた身体物質は、自然界に1年かけて徐々にではなく一気に放出されるだけの話で、個体の死などNothing Specialな話だ)。自然から独立したように錯覚する自由意志を持つに至った人間の「高度」な脳≒心が、その身体を所有している感覚に陥り、その将来の死を前に右往左往しているだけなのである(天動説=自分中心に世界/自然がある)。ブッダの教えは、平たく言えば「天動説は間違いで、正しくは地動説=自分は世界/自然の単なる一部。それに早く気づけ」「すべては脳≒心の認識の問題/一人芝居」「自己の一部である脳≒心が、間違った所有感覚の元、将来の死の前にして右往左往しているだけ」と言っていると理解している。悟りとは、自己と他者が同じであること、もっと言えば、すべては自然と一体と感得すること!? 自己の思考を「空」にすると表現できる!?
ヒトの食≒人間のカネ 「貧すれば鈍する」ので、それに陥らないレベルを維持することは必要条件。ただ、そのレベルを大きく超えて、ドーパミン的・資本主義的な「もっともっと」の罠にはまると「心穏やかな生活」が遠のく。「ヒトの食」には保存期間に限界があったが、「人間のカネ」には保存期間に限界がない。シニアライフでは「貧すれば鈍する」ラインを突破していれば「もっともっと」より「足るを知る」に重きを置いた方が「心穏やかな生活」に近づく。シニアライフでのカネは、公的年金+企業年金or退職金+蓄財放出。
脳に対する洞察 情報処理のためにコンピューターと違い生きるための臓器。その癖を知らなければならない(つまり、自然圏のヒトに対する洞察。ネガティブバイアス、新しいもの好き、他者理解、自己認識、他者比較 等)。新しいものにチャレンジし続けてここまで文明を発展させてきた。感情は、生き延びるために無意識が意識に送るメッセージ。脳の想定(150人程度の平等・協力社会、狩猟採集生活)vs現実の文明社会(80億人の巨大コミュニティ-、組織・ヒエラルキー社会、貨幣経済生活)。言語で思考ができ、それを踏まえて目的と意志をもって行動ができる。「ホモ・サピエンスが食物連鎖の絶対的頂点1.3万年間」÷「ヒト属の歴史250万年間」=0.52%≒7分間in1日24時間。通常、生物の進化は、かなり長時間をかけて起こるが、この文明の垂直的な発達は、人類史を1日とするとほんの数分間の出来事でなので、進化が追いつけるわけがなく、人間の心身は、ほぼ狩猟採集(食うか食われるか・狩るか狩られるかの)生活(農耕生活の200倍超の期間)の時のままである。
精神世界 心の問題に深入りすると宗教の問題は避けられない。宗教の大きな役割は言うまでもなく、信者に精神の安定、つまり「心の平穏」を提供することだ。肥大化した脳や資本主義は、感情・欲望を拡大再生産・増幅する。一方で、脳はリスクに満ちた狩猟採集生活を想定しているために感情はリスク管理目的にネガティブ優先にできるので、ブッダが言ったように我々の生活・人生は苦悩で満ちているように感じる。宗教の本来的な役割は、この様なネガティブ優先思考・苦悩・際限のない欲望等から人間を救済する「心の置き場」を提示・提案する事だった。宗教は、方法論として、その役割を教義への信仰という形で実現しようとする。しかし、一方で、信仰とは、脳≒心を他者に全権委任する(洗脳を受け入れる)ことを意味しており、精神の安定を手に入れることと引き換えに、自分で論理的に思考することを放棄することと同義だ。つまり、人生での精神世界対応は二者択一で「人間とは何かを自力で考察する」or「特定宗教に全権委任する/洗脳を受け入れる」ということだ。私は、前者を選択し、神道(いわゆる宗教3点セットである教祖・教義・救済がない神道は、宗教と言うより理念/態度であり、厳密な/狭義の意味では宗教とは認識していない)を通じて自然との一体感を時々確認しつつ、日本の大乗仏教や一神教ではなくブッダの言動を参考に人類史・脳科学の知見を借りて人間とは何かを自力で考察し続けたい。
その他 仏壇・墓。相続。思い出。身体劣化。一日一番(相撲用語)=今に集中。単能工(ジョブ型)vs多能工(コミュニティー型)。死を意識するから生を充実させることができる。
【今日の1日】曇。6時半起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。朝食。庭整備。ゴミ捨て-プロゴルフ観戦@御殿場-昼食-ガスリンスタンド。夕食。就寝。(一言)
【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)どんな逆境でも、最高のパフォーマンスを発揮する 心を「道具化」する技術
【OUTPUT】マンダラチャート維持