動物と人間の境界

「生物個体は遺伝子の乗り物であり、遺伝子の保存のためのサバイバルマシン」(群れ・個体より遺伝子を中心に考える)という見方がある。動物は遺伝子を残すためには、自らの身体の生存確保と再生産(繁殖)という2つのミッションを達成しようとする。群れで生活する動物が、お互いに競い合うのは、自らの遺伝子を残すためだ(植物も! 農園で野菜の種を植える時、多めに植えて競争させるように発芽させた後に、間引く方法がとられる)。群れの中で高い地位を得た動物は、生物学的資源(食糧・なわばり・安全な寝場所・仲間の支持・異性へのアクセス等)を得て、結果的に自らの遺伝子の生存可能性を上昇させることができ、実際にその様な遺伝子が生き残ってきた。ただ、自然界での実際の争いは「強者の不戦勝」に終わることが多く、静かな優位・服従の構造が一般的。人間も同様に動物である以上、競い合いから逃れることはできず、他の動物たちと同様に生物学的資源を追い求めて競い合うように進化的に(遺伝子の論理で)動機付けられている。by ハードパワー /権力or ソフトパワー/名声

ハードパワー/権力 人間組織の中での地位は腕力ではなく、社会的な取り決めによって決定されることが多い(会社での出世等)。ただし、取り決めによって高い地位を得た者が傍若無人な態度を取ると、集団で反抗を受けることが多い。進化人類学者のクリストファー・ボームによれば、「ホモサピエンス社会には元来リバース・ドミナンス(逆支配)と呼ばれる構造があった。心の発見、志向の共有、武器の使用、規範意識の形成、噂話による評判といった一連の能力を進化的に揃えたことによって、ホモサピエンスは自然界ではじめて『マジョリティである弱い個体達が意図的に協力し強い個体をボコボコにする』構造を可能にした」(自然界の中でも、人間は集団で横の連携を梃にマンモス等大型動物に勝ってきた)。この様にして、暴虐で暴力的(ハードパワー)な個体・遺伝子は減ってきた。

ソフトパワー/名声 人間社会の中で評判=個体間の情報連携(ソフトパワー、人間はそれを高いレベルでできる)は重要。専門性の高さ等でコミュニティーの皆から良い評判(→名声・信望的地位)を得た者が遺伝子の生存可能性を自然と上昇させ、悪い評判に貶められた者が遺伝子の生存可能性を低下させるという淘汰圧力が存在・機能してきた。また、高評判の人に群がり/注目し、人間は信じて付き従うことでスキル・技術を何等か伝達してもらおうとしてきた(→文化)。なお、評判に関わる人間行動のポイントの一つとして他利的行動がある。250万年間も行った狩猟・採集社会では、ホモサピエンスは最大150人レベルの平等主義的なコミュニティーを形成し、人々は惜しみなくモノを他人に分け与えた。最大150人レベルのコミュニティーの中で人間が他利的(⇔自己的)に行動できることは十分に遺伝子に生みこまれていると思われる(→ソフトパワー・名声↑→生物学的資源獲得力↑→遺伝子の生存可能性↑ 単なるお人好しではなく遺伝子の論理が存在する)。

この様に考えると、人間の人間たる所以は、「個体間のコミュニケーションのレベルの高さ」ではないか? それによって、個は非力ながら集団でマンモスや暴君を倒し、技術を進展させ文化を作ってきた。。。よく言う「人間は一人で生きていけない」って、結構深い意味があるかも。まあ、黒幕は遺伝子の様だが。

【今日の1日】5:30起床。ブログ書き。朝食。朝風呂。SNS受発信。情報収集by新聞・TV。買物。アジ1匹買ってさばく→塩焼・刺身(創造性!)。昼食。YouToube鑑賞。女子ゴルフ・相撲・大河ドラマ鑑賞。夕食。 マスに続いてアジもさばけた!

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