留学時代(1989-1991年)の同窓会に8人(含む私)が参加。2拠点生活or強い趣味=早期シニアライフ入り。居場所+家計余力も重要か。充実のためには社会との関りも必須。なによりも、健康が重要ってこと。過去1年間で、2人が救急車で運ばれたと。まあ、後遺症等ないとのことで良かったが。加齢のためか、また、組織の重荷(重責)を下ろしたためか、皆さん、総じて、柔和になり言動が丸くなったように感じた。さて、この会を踏まえて、私の行動・意識が変わるか。。。シニアライフでの達成感が欲しくなった。「卒サラ@還暦 物語」だ! 資本主義の枠組みで生きているものの、自己の中に資本主義と一線を画した部分の必要性を感じた。
なぜ「資本主義と一線を画した部分」が必要なのか? ①資本主義の論理は「交換価値」に偏る。資本主義では、モノ・時間・労力がすべて「市場での価値=お金」に換算される。しかし、人生の中には「お金に換算できないもの」(関係性・自然・創造・感動・沈黙・余白など)があり、それが失われると「生きる意味」や「心の豊かさ」が損なわれる。②自己の軸を失いやすくなる。資本主義は「外部からの評価」を基準に動く(収入・肩書・成果)。それに引っ張られすぎると、自分の価値観や内的な声がかき消され、「何のために生きているのか」が見えにくくなる。③心身が消耗しやすい。際限なき成長・競争・効率の追求にさらされると、身体や精神のリズムが崩れる。特にシニアライフでは、「量的な成果」より「質的な充実」や「存在そのものの価値」が重要になる。
一線を画すために育みたい「非資本主義的な領域」(資本主義の枠外にある価値や態度)①贈与:見返りを求めない与え合い。例:子や孫への手間ひま、地域への無償の貢献。②内省・沈黙:利益や効率とは無関係な「考える時間」「感じる時間」。③自然との共生:自然は商品ではなく、いのちと感性の源。④遊び・芸術・創造:成果や換金性を目的としない自由な表現。⑤スローライフ・余白:生産性に縛られない生き方。⑥死生観:資本主義が語れない「死」や「永遠」に向き合う態度。
自己の中でどう育てるか?①「今、これは交換価値の論理で動いていないか?」と自問してみる。②毎日の中に、あえて「効率的でない時間」や「無目的な活動」を組み込む。③自然に触れる、手を使う、身体の声を聴く(感性の再起動)。④死や老いについて語れる時間や仲間を持つ(精神的自律の場)。⑤若い世代と利害を超えて関わる(次世代への贈与)。
【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。朝食。移動準備。箱根峠-昼食@海老名SA-新中野。郵便対応。8人宴席@新宿。阪神タイガース観戦。(一言)阪神強し!
【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)自律性を整える。Tarzan 特別編集
【OUTPUT】マンダラチャート維持
