卒サラ1.5年小まとめ

最近、自分自身を使って「卒サラ生活」という人体実験をしているのではないかと思うことがある。今日は、卒サラ1.5年間を通じて得た思いを小まとめしてみたい。「卒サラ生活」は当初イメージと違ってかなり奥が深く、やや大げさに言えば、人間と言うものを考えさせられる機会となった。

【生活リズムの確立】 学校・会社時代は、それ自体が大きな軸で、生活リズムの基礎となっていた。卒サラ生活では、よほど強烈でスケールの大きな趣味(知人で年3回程度ヒマラヤに行く人がいる)を持たない限り、日常生活に楽しさと喜びを見出しながら(今まで価値をあまり見出していなかったものを再評価しながら)、複数のテーマを追い求めてアクセントにするような自立した「分散型」の生活リズム・スタイルが求められる。一定の時間を使って試行錯誤しながら、各自が確立するしかない。個人的には、2拠点体制を「卒サラ生活」開始2.5年前の今から約4年前(2020年1月)に確立済み(+2.5年間のコロナ禍による夫婦100%在宅勤務で慣れることができた)で「分散型」確立に大いに役立っている。

【脳と向き合う】 喜び・苦しみ・充実感・不満感等すべては心の持ち方(脳の認識)次第とブッダの教えから会得した。また、長谷川眞理子先生のチンパンジー(vs人類)研究、山極壽一先生のゴリラ(vs人類)研究を通して、人間の脳の限界・癖に対する洞察を深めた。人類が文明を築き始めたのは農耕を始めた1.2万年前で、その前には1.2万年間の何百倍も長い(食うか食われるか/飢餓リスクとの闘いの)狩猟採集生活(数百万年間)があり、脳は狩猟採集生活を前提としている(脳が新たな環境に適応し機能を更新してしっかり対応するためには数万年間の時間が必要と言われる)ことを理解した。で、人間が最も気を付けなければならないのは、人間の認識は、食うか食われるか/飢餓リスクの高い(=生存リスクの高い)狩猟採集生活を反映して、ネガティブ優先になっていること(←悪い過去の記憶・悪い将来の予測に基づきリスク感度が高いDNAが生き残ってきた)。一方で、文明社会では狩猟採集生活に比べて相当程度生存リスリスクは低いが、脳はそれに対応していない(脳の認識リスク>実態リスク)。実際、不安・心配の97%は実際に起こらないらしい。このあたりの知見は、時間的余裕がある中で、読書・動画視聴で得た(2023年2月から半年間、右肩打撲で対外活動が鈍った時期があり、結果として良かった)。

ネガティブ発想対応】 学校・会社時代は、忙しさもあり、ネガティブ優先発想を、結果としてマネージできていたように思う。しかし、一定の時間的余裕がある卒サラ時代では、より意識的にネガティブ優先発想へ対応することが求められる。注意すべきは、決して、ネガティブな思いを直接的に解消・除去するという「不可能」に取り組んではいけない。ネガティブな思いをシャボン玉をつかむようにそっと封じ込め(化石化)して、他方で関心をポジティブな思いを創る方に向け、ポジティブな思い・行動とつなげていくことが大切だ。ネガティブな思いを封じる手段が、(他律的な)忙しさ→(自律的な)ポジティブ志向となる。「長嶋茂雄流」に切り替えが求められる。

【脳の基本認識vs現実の環境】 脳は、狩猟採集生活(最大150人程度の集落で、助け合いながら平等的生活。また、土地所有の考え方はなく、150人程度を超える組織もなく/それ以外の人と生涯会うこともまれで、貨幣もなく、資本主義もなく、書き言葉もなかった)ことを想定しており、そこから外れる環境に住む現代人は「脳の基本認識vs現実の環境」を折に触れ意識的に立ち止まって考える必要がある。例えば、人間は、噂話が好きで、他者の目をよく気にして、自己と他者の比較を頻繁に行う(他者に相当な注意を払う癖がある)。これは、自己が所属するよく知った150人程度の集団の中で、自分によくフィットした「居場所」「役割」を発見・認識するために発達した機能だ。現代では、その人間の癖・機能はほぼ変わらずながら、置かれた状況が大きく変わってしまった。極論すれば、付き合う・認識する範囲が、密な150人から関係が薄い80億人に広がった。現代人は他者の断片認識ベースで他者に相当な注意を払う癖を展開している(→ファイスブックはまさにそれを可能にする場だ)。そこに無理があり、結果として起こる自己のメンタルの不安定化、他者とのコミュニケーション上の問題(→人の悩みの80%超は対人関係と言われる)。

【哲学vs宗教】 人間の心は安定しているというより不安定と言う方が的を得ているだろう(←脳の認識vs現実社会のギャップ)。で、人生での精神世界対応は詰まるところ二者択一で「ブッダのように人間≒脳とは何かを自力でトコトン考察する」(哲学派)or「特定宗教に全権委任する/非科学的な教義を受け入れる」(宗教派)ということだろう。私を前者を選択している(→哲学者としてブッダを尊敬している/後世の人がブッダを祭り上げて仏教を作った)が、確かに、人間は自らの最上位と認識する思いに振り回されるので、その思いをはるかに超えた存在(超越的存在)に対する畏怖の念を抱いて生きることで、 心の平穏を得るという選択肢(宗教派)もあり得るとは思う。例えば倫理で言うと、良心の鏡は曇ることがあるが、超越的存在との関係を意識してそれを防ぐイメージだ。ところで、個人的に、まあ良いかなぁと思う宗教は神道ぐらいだ。ただ、神道は他の宗教比ユニークで、(いわゆる宗教3点セットである)教祖・教義・救済がなく、狭義の宗教の定義から外れるかもしれない。自然(八百万の神)が超越的存在で、人間はそれを単に感じつつ自己対話するだけだ。つまり、救済(含む境内での祈願)を求めても救済は無く、祈願は自己対話で、自然/八百万の神に聞いてもらうだけだという建付けだ。超越的存在(自然/八百万の神)に対する畏怖の念を抱いて生きる(=自然に宗教心/一方的な信仰心をもって生きる)ことで、 心の平穏を得て、また、自己が超越的存在(自然/八百万の神)に対して発信した言葉の言霊的な「跳ね返り」で生きる推進力を得るのである。神道は、いわゆる宗教3点セットは欠落しているものの、目的性つまり「生きる推進力」「心の平穏」の点はクリアーしている。なお、個人の哲学は、文章にすると饒舌になるのでマンダラチャート(下記)にして、新たな気づきを加えて随時更新している。

【今に集中】 前述のように、悪い過去の記憶・悪い将来の予測に基づきリスク感度が高いDNAが生き残ってきた。つまり、人間は他の動物と違い、過去の記憶を持ち、将来の予測をする動物だ。ただ、共に、脳の中にあり実態はなく、実態があるのは目の前の現実だけだ。事を成すには、(よくプロのアスリートが言うように)今・現実に集中すべきである。過去の記憶・将来の予測は、構想段階では有意義かもしれないが、行動中は無用の感情を引き起こすことが多い。

【生きる推進力】 前述のように、宗教の大きな目的・役割の一つが「生きる推進力」だ(もう一つは「心の平穏」)。ただ、哲学派は、人間の脳の特性を踏まえて、自らが「セルフエンジン」の枠組みを構築する必要がある。が、心配することはない。人間は、生存と生殖の可能性を高めるように前向きに行動するようにプログラミングされている。肩の力を抜いて(凝り固まった考えがあるなら捨て去り)、それらを認識して適切に自己流に組み立てれば「生きる推進力」は比較的簡単に得られる(自己の内にあるものを出すだけだ)。

【心の平穏】 「心の平穏」についても同様。宗教派は、信じる宗教に期待するが、哲学派は、(人類学、脳科学、心理学等の知見をベースに)人間の脳の特性を踏まえて、自らが「心の平穏」を得る枠組みを構築する必要がある。ここでは、人間に対する洞察、社会に対する洞察が物を言う。例えば、感情は、(狩猟採集生活を想定して)生存と生殖の可能性を高めるよう無意識が意識に送るメッセージだ。これを真に受けて行動するのは動物レベルで、文明の中に生きる人間としては、感情を一旦受け流してそれをヒントに考える「間」が求められる(←このあたりのことは、ブッダの洞察が参考になる)。また、「もっともっとと煽る」貨幣社会・資本主義に(貧すれば鈍するには注意しながら)浸食されすぎないことも重要だ。狩猟採集時代に貨幣・資本主義はなく、脳はその扱いが苦手であることも留意する必要がある。貨幣社会・資本主義が作り出す世界の中で、人間は、生存と生殖の可能性を高めるようなこと(お金・社会的地位・モノ等=地位財)は基本的に何でも歓迎してしまう(かつ、地位財での幸せは長続きしないのでさらにもっともっととなる)。心の平穏のためには、(貧すれば鈍するには注意しながら) 非地位財(健康、自由、やりがい、帰属意識、愛情、自主性、良質な環境等の非売品)に目を向けるべきだ(非地位財での幸せは長続きする)。昨今、よく「ウェルビーイング」と言うが、この非地位財志向と理解している。繰り返しになるが、「貧すれば鈍する」には注意が必要だ。

【人間の厚み】 先日「元来美術品なるものは、できるだけ大衆に見せ、楽しませて、知らず識らずのうちに人間の心性を高めることこそ、その存在理由といえましょう」という文章に接した。人間の心性、つまり、厚み、高みだ。人間は、脳を拡大し他者と協力して生き延びてきた(←生存と生殖の可能性を高めてきた。身体的・肉体的に人間より強う動物は多く存在した)。結果として出来上がった脳のレベルとその蓄積の結果である文明の中で、個は(本来備わっている前向きなエネルギーを使い)その能力と人格を定義して如何に高めるかが問われる。それを考える時に、他の動物にない人間の特性が良いヒントになる。死ぬことを知っている(時間軸を持つ)のは人間だけ。血縁以外と交流(友人)を持つのは人間だけ。書き言葉(高い表現力)を持つのは人間だけ。(火も使って)料理をするのは人間だけ(≒飢餓リスクを相当程度低めているのは人間だけ)。「生きた証」の世界だ。

(感想)①時間的余裕を得て、人類学・脳科学・心理学の知見に触れ、人間≒脳≒心に対する洞察を深めることができた(世界観を広げて深めた)。②ライスワーク的サラリーマン生活だったかもしれないが、有意義な経験を積めたことは素直に評価(過去の総括。過去はすべて将来のための準備)。③卒サラ生活では「貧すれば鈍する」には注意しながら地位財志向→非地位財志向が求められる(→心の平穏・ウェルビーイング)。④人間は、生存と生殖の可能性を高めるように前向きに行動するようにプログラミングされており、その発動を妨げる後天的に積み上げた思い込みみたいなものがあるならばそれらを取り除けばよい(→生きる推進力。個人的には、世の中の人を自分なりに啓蒙することにやりがいを感じる)。⑤宗教に対する認識を深めることができたのは大きな成果(個人の心のコントロール手法に関わる選択肢の一つと認識して、タブー感が無くなった)。宗教とサプリメントは「信じる者は救われる」という事で似ている。宗教=他人が作った哲学であり、個人的には、道徳として参考にできる程度の話であり、基本的には自分の哲学を作って生きるべきだと私は思う。宗教はそれができない人向けの選択肢(一方で、各自ばらばらの哲学を持って実践するより、特定宗教を信じる人が一定数いる社会の方が安定するかもしれないとは思う)。マインドコントロール(宗教は、心の持ち方の一案なのに、あたかもそれが真実と思って疑わなくなること)に注意してほしいと切に願う。⑥人間の脳の癖(ネガティブ志向、他者比較、過去・未来認識=時間軸保有等)、狩猟採集生活vs現代社会での生活、地位財vs非地位財に留意したい。⑦マンダラチャートとの出会いはインパクトがあった。大谷翔平に感謝。8×8=64の引き出しの整理力・表現力には大いに驚いている。

【今日の1日/曇・雨】4時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。ポジティブ・ネガティブのリストアップ。朝食。昼食。知人宅@箱根。阪神タイガース観戦。夕食。就寝。 (一言)今日のブログの内容を膨らまして出版!? 世の中の人を自分なりに啓蒙するとともに(やりがい)、自らの見識・生き方のレベルアップ。

【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)共感革命 社交する人類の進化と未来 (河出新書) Kindle版 山極壽一 著 <再読中>

【OUTPUT】マンダラチャートを維持(上記)。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です