宗教→科学

昔、稲妻は怒れる神の鉄槌だと信じられていたが、雷雨の時の凧揚げ実験で稲妻はただの電流だと判明し、また、それを踏まえて避雷針が開発された。過去500年間の科学革命で、それ以前の中世での宗教のカバレッジ(語れる)範囲が、科学に置き換えられていくのがよく分かる例だ。

一方で、現代社会において、食物連鎖の頂点に君臨する人間がもつ、頂点ゆえの持て余す力=心の不安定感を背景に、宗教は(前述のように、その語れる範囲は科学に奪われて縮小したが/科学を否定する各宗教の原理主義には困ったものだが)精神的土台・軸(心の持ち方)の選択肢の一つとして引き続き健在だ。

また、資本主義・自由主義は現代の宗教だと言う見方もあり、宗教の定義(広辞苑では「神または何らかの超越的絶対者あるいは神聖なものに関する信仰・行事」)自体も変化・シフトしているのかもしれない。神または何らかの超越的絶対者などは、科学的な視点ではあり得ないが、人間があえて想定することにより、その精神的土台・軸となりえるということだろう。実際、私も、月に1回程度はは箱根神社にお参りして「引き続きよろしくお願いします!」と言って二礼二拍一礼し、おみくじで「神」の言葉に耳を傾ける!! 日本風土の懐の深さが生んだ神道に開祖・教義・救済はないものの、自然(神社のなんとも言えない雰囲気)の中で自己を客体視(自己対話・鏡に自己を映す)する機会を提供してくれる。これ(東京に常駐している時は明治神宮)と葬式/法事仏教としての浄土宗が私にとっての宗教だ。

【今日の1日】4時起床。ブログ書き。朝食。失業保険調査(2022.12-2023.04受給予定)。2022年の納税・CF(家計資金繰り)確認。朝風呂。昼食。山中城跡(下見)-三島スカイツリー(下見)-ゴルフ練習(50球)-温泉-ベーカリー(ケーキ受け取り)。来客と宴席@箱根峠宅。

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