「自分の心=本当の自分」? 時に、「自分の心」を客観的に観察し、後悔・反省することがある。「感情的に怒る必要はなかった」「クヨクヨ悩んでいる自分が嫌だ」等。その客体視している主体こそが「本当の自分」なのではないか?「自分の心」と「本当の自分」を別物と考えるべき!? 「自分の心」は「本当の自分」を認識するための「器」であり、「本当の自分」がそれを客観的・意識的に認識・コントロールすることで、人生をより楽しく生きることが可能になる!?「自分の心=本当の自分」的な「私は怒っている」ではなく、「自分の心」と「本当の自分」は別物として考える「私の心は怒りを感じている」と他人事のように考える。「自分の心」は「本当の自分」を意識・コントロールするための「器」と考えて一定の距離を持つだけで、心のコントロールに対する意識が高まる。ブッダの「第一の矢は受けても第二の矢を受けない」を平たく言うとこの様なことだと思う。また、座禅やマインドフルネスも他人事のように考える機会を提供するのだろう。
「自分の心」は身体と切り離せないイメージが妥当で、①生存と繁殖が一義的な生命活動からのメッセージを感情というルートで直接受け取り、②(進化の過程で得たリスク感覚から)ネガティブバイアスの影響を受け、③五感からの情報を受け、(生存と繁殖が一義的な生命活動として)脳の過去記憶・未来予想とも連動し、④心身一如で(心は身体に備わり身体は心に働く)心は身体コンディションの影響も受ける。これらを他人事のように客体視することが心のコントロールの第一歩だと思う。で、それがなぜ必要かと言うと、人生をより楽しく楽に生きるためだ。
【今日の1日/曇】8時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。朝食。休息。昼食。休息。阪神タイガース観戦。大相撲観戦。夕食。就寝。(一言)阪神〇、巨人Xで面白くなった!
【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)夢をかなえるマンダラチャート ブッダが教える心の仕組み:52の「心所」で読み解く仏教心理学入門
【OUTPUT】マンダラチャート維持