過去のブログで、「宗教を信じること=自らの『主権』を放棄して他者の世界観を受け入れるこによって『心の平穏』『生きる推進力』を得ようとする賭け」とした。では、方法論としての宗教は横に置いておいて、なぜ人は『心の平穏』を求めるのかを考えてみる。
その前に、前提条件の確認。人類は過去1.3万年の間に垂直的に文明を発展させたが、遺伝子に大きな変化が起きるまでには数万年が必要と言われる中、1.3万年程度では脳の進化は環境の変化に追い付いていない。つまり、脳は、150人程度の集団で人間関係を密に協力して生存と生殖を基本ミッションとした(生きるのに精いっぱい的な)狩猟採集生活を想定している。一方で、文明社会では、生存と生殖を脅かすリスクレベルは相当程度低く、生きるのに精いっぱい的ではなく(本来)時間的な余裕があり、150人をはるかに超えた人とつながりを持ち=薄く広く人とつながり、分業が進展し=生業が高度に多様化・細分化しそれらを(多くの場合150人以上の)組織の中で組み合わせて大きな付加価値を効率的に社会に産出しようとする傾向にある。
また、より人間個々にフォーカスすれば、資本主義・分業体制の中で、世界中が貨幣を媒介とする同じ1つの経済システムに組み込まれており、貨幣を稼がないと生活できないというプレッシャーを受け資本主義環境の中で個々は相互の競争させられ、結果として経済的な勝敗・格差が生まれている。人との協力は、人類を食物連鎖の頂点に押し上げた原動力で、幸福ホルモンが分泌される等、人間のDNAの深いところに組み込まれているものの、資本主義発想の個々の貨幣価値換算・損得勘定がその発動にブレーキをかけている面がある。さらに、人との協力にブレーキがかかる中、他者比較機能(←もともと、150人程度の平等的な集団の中で、自己の特徴を認識するための「お手軽な」機能であったと思われる=自分自身が自分自身を分析するより他者と比較した方が自己の特徴が費用対効果高く理解できる)が薄く広いつながりの中で、生業が多様化した分業社会・格差社会の中で展開されると、他者の一面だけを見て一喜一憂するような心理状況となることが多くなる。それらの結果、人がストレスを感じる原因の70%が人間関係と言われている。
加えて、狩猟採集生活を基準にすると、現代の文明社会では、一流のアスリート以外は運動不足と思われる。人間の思考は基本ネガティブ志向(心理学でいうネガティブバイアス)で、運動をすればそれをポジティブ方向に戻せる(脳は運動=生きるために頑張っていると判断して身体にポジティブなサインを送る)が、多くの人は戻し切れておらず、心の中はネガティブ感が勝っていることが多い。
以上をまとめると、150人での狩猟採集生活を想定する脳がする現実は、心理的にかなりハードなのだ。心がかき乱されやすくネガティブに傾きやすい、結果として「心の平穏」を求めることになる。
で、対応方法としては、このブログで再三言っているように、人生での精神世界対応は極論すれば二者択一で「(哲学)ブッダのように人間≒脳とは何かを自力でトコトン考察する」or「(宗教)特定宗教に全権委任する/非科学的な教義を受け入れる」だ。ブッダの時代には脳科学や人類学の知見は限定的だったが、今や、その知見(前述のことはその一部)を梃子に前者の可能性が高まっており、(歴史の重みおよび宗教の本質が思い込みであることを踏まえればその解消には相当の時間がかかるが方向性としては)長期的には後者は歴史的遺物に向かっている。私が目指しているのは「科学的哲学」!?
【今日の1日/晴】6時半起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。朝食。安産祈願PJ企画。郵便局。昼食。確定申告。大相撲観戦。夕食。就寝。(一言)昨夜は5人で家族会@新中野。次男妻Aの懐妊が中心話題! 若者からエネルギーをもらった。
【短期目標=方向性】身体↑+心の制御↑(心の平穏+生きる推進、顕在意識⇔潜在意識、Must軸→目的・目標軸、人間≒脳≒心に対する洞察)+「道具+技術+知識・思考=生活・実行=習慣」↑【中期目標】INPUT⇔OUTPUTの好循環→ブログコンテンツ蓄積↑(言語力)。箱根峠宅の庭構築・利用↑(空間力)。家計認識・運営↑(数字力)。【長期目標】人生の結章:ブログ→「卒サラ@還暦してわかった人間≒脳≒心!」を出版(内省力、科学的知見を梃子に「人間の深み」を哲学する)。ファミリーツリー運営+自然と共生。【メモ】70才まで9年弱、80才まで19年弱、90歳まで29年弱(初孫28才)、100才まで39年弱。