文明の裏側

地球上の生命の営み(30数億年間)は人類の歴史(数百万年間)をはるかに越えた時間的スケールがあり、人類の歴史はそれに比べるとごく最近のものにすぎない。加えて、「1.2万年前に農耕を契機にテイクオフし以降垂直的に発展した現代文明」に(たかだか最大100年間程度の)生を受けた私達は、まさにその中にどっぷりつかって/目先だけを意識して日常生活を送っている。その文明が客観的にどのような特徴を持っており、どのような影響があるかは、冷めた目で見ないと認識できない。

その視点で、「1.2万年前に農耕を契機にテイクオフし以降垂直的に発展した現代文明」の直前の状況(狩猟採集生活・石器時代・150人程度の集落)をイメージすると、貨幣経済・資本主義・個人主義・消費主義が現代文明のポイントかもと思う。人類は安全な環境で、死や飢えの恐怖に怯えずに暮らすことができるようになったものの、現代文明により結果として失ったものもがあることを認識する必要がある。そして、対抗策をもって意識的に生きることが求められる。

人間関係の豊かさ/深さ 石器時代の人間は最大150人程度の共同体に暮らし、友人同士は互いの生死を預け合っていた。当然彼らは互いのことを深く知っていただろう。現代文明では、80億人が広く薄くつながった状態で、相当意識しなければ他人との親密な交流の機会が得られない。人間の悩みの8割は人間関係と言われている。

常に満たされない感覚が貨幣経済・資本主義の中で強化 進化で重要なのは生存と繁殖だけだ。幸福や窮乏はそのための刺激・道具だ。また、幸福感は、脳が発する電気信号や血液中のホルモンがもたらす生理的な現象で、自分がどれだけ幸福になれるかの期待にも左右されるような流動的で相対的なものだ。結果として、幸福な状態にはすぐに慣れてしまうため、永遠に次の刺激を追い求めるサイクルが続く。この仕組みは今も昔も変わらないが、現代人は、貨幣経済・資本主義が作り出す無限の可能性の中で、「足るを知る」で意識的にしっかりブレーキを掛けない限り、「もっともっと」と激しく駆り立てられる。

貨幣経済・資本主義の中で人間自体が商品(経済のパーツ)化 とりわけ都市において、人の価値は「生産性」や「市場価値」によって決められるようになった。いかに短い時間で経済的な成果を出せるか、いかに稀有なスキルを身に付け貴重な人材となるかが重要になった。自分らしさ・自己尊厳・信念の追求のスタンスを強く持たない限り、他者の価値観に振り回されやすい。

情報過多 特に昨今の情報社会の中で、脳の中が整理されない膨大な情報で散乱している。整理されないまま/思考を深めないままインプットが続いて脳が疲労している。アウトプットを強化/思考を深めて脳内情報を整理し、結果としてインプットとのバランスを計らねばならない。

道具過多 貨幣経済・資本主義がどんどんんと商品・サービスを生むこともあり、それを受けた消費主義の中で、身の回りに商品・サービスが溢れている。必要性を厳選する態度が求められる(厳選しすぎると経済が回らない/経済が成長しないが。。。)。

【今日の1日/曇】6時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。朝食。叔母相続案件。大家業務。郵便局(印紙購入)。昼食。昼寝。大相撲観戦。12人宴席@田町。阪神タイガース観戦。就寝。(一言)

【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)夢をかなえるマンダラチャート

【OUTPUT】マンダラチャート維持。

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