大川隆法氏が66才で死去と。彼が創始した新興宗教である幸福の科学のことは、宗教施設をいくつか認識したことがるが、個人的にはほとんど知らない。選挙の時に、幸福実現党を通じて政治活動も始めたのかと思うぐらいだ。同党の全国選挙での得票数から類推すると信者は30万人程度か!? ここ半年話題の旧統一教会(信者60万人?)と言い、日本での新興宗教のパワーに改めて驚かされる。
新興宗教と言うと、金銭(布施・献金)や労働(奉仕、旧統一教会においては選挙運動だった!)が求められ、他者勧誘数ノルマがあり、霊能/霊感(旧統一教会においてはこれをネタに高額商売!)や前世/来世とか言われマインドコントロールされ、組織自己増殖のからくりに気が付いてやめようとすると祟りがあると脅すイメージを個人的には持っている。当たらずしも遠からず? しかし、なぜ、こんなものが日本で流行るのだろうかと、素朴に疑問に思うがそれなりの理由・背景があるのだろう。以下、私の個人的見解。①昨日のブログで記した「心の平穏」のために伝統的宗教があまり機能していない。仏教は葬式・法事宗教に甘んじている。神道に教祖・教義・救済はなく静的な心の拠り所としては機能しているもののそれ以上ではない(動的な導きのイメージはない。宗教と言うより信仰心/態度の対象)。キリスト教等の一神教(厳しい環境で生まれた宗教)は日本文化/日本人との親和性はあまり高くない。②第二次世界大戦中、天皇を神格化して失敗した反動で、日本では宗教(含むカルト)が野放し的(今般の旧統一教会問題でようやく反転)。③日本で主流である(インド/ブッダ発の)仏教は、中国を経由し、色々な時代に色々な解釈を経て広まったこともあり、結果として10以上の主要宗派があり、ブッダが元々説いた初期仏教から相当程度遊離して(ブッダは前世/来世等の輪廻を否定した!)、表層のこと/独自の解釈で全体として右往左往している。
人間は、脳の発達を梃に生き延びてきた動物だ。しかも、人類史250万年の中でここ1.3万年で急速に発展した(人口ベースで言うと500万人→80億人)。人間の脳が想定しているのは、最大150人の平等的なコミュニティーで狩猟採集生活である一方、現実社会はそれよりはるかに大きな規模で関わりあう高度に発達した地球規模の社会だ。脳の前提⇔現実社会の差の大きさから人間は根源的に心の問題(脳の自然発生的な認識を補正するニーズ←進化が環境変化に追い付いていない)を抱えている。500年前にヨーロッパで始まった科学革命の前からこの問題にアプローチしてきたのが宗教だ。
幸い昨今、脳科学の発展が急で人類史250万年間の研究も進んできた。伝統宗教で言われてきたことも参考にしながら、脳科学や人類史の知見を活かせば、各人、一定の深さのある独自の世界観・人間観・人生観が作れる思う(endlessな活動とイメージするが)。各自が種々の経験を通じて、その世界観・人間観・人生観を深めていくのが人生の醍醐味でもある。一方で、特定宗教に盲目的にはまっている人は、世界観・人間観・人生観を深めるという自己の継続的で地道な努力を放棄して、特定の教義(教祖とその取り巻きが作った世界観・人間観・人生観)を絶対的なものとして受け入れている/固定してしまっている/その狭いフレームワークの中で最善を目指そうとしている。私の考えでは、言葉は悪いが「手抜き」なのである。一方で、結果として、(本来シャボン玉のように扱いにくい)世界観・人間観・人生観を底堅くしている。だから、宗教熱心な人からは、「強いが浅いイメージ」が発せられる。旧統一教会の勅使河原氏が昨年の会見で発したイメージはまさにそうだった。繰り返しになるが、「科学の発展を超えて生き残ってきた伝統的な宗教で言われてきたことを必要に応じて参考にもしながら(仏教の場合は初期仏教=ブッダの言動が望ましい)、脳科学・人類史の知見を活かして、各人が独自の世界観・人間観・人生観(=脳の自然発生的な認識を補正するプログラム)を継続的に深める努力」が重要だ。「手抜き」をしては変なものをつかむ。急がば回れ!!
【今日の1日】6時起床。家事一般。情報by新聞・TV。SNS受発信。朝食。YouTube。昼食。ブログ書き。夕食。 (一言)今週も、打撲治療に使った。。。 YouTube週間でもあった。