阿部元首相暗殺事件を契機に、次々と明らかにされる旧統一教会(よく行くららぽーと沼津に隣接してその支部があるのを最近認識)と政治家の関係。洗脳した信者から、物品販売・(自己破産するレベルまでかなりの程度)献金で金銭を巻き上げ、その得た金銭の一部を政治家へ労力(選挙活動)と資金(政治資金)として還流させ、政治家から好意的な言動を得て(「広告塔」に、また、マスコミへの「防波堤」に仕上げて+祟りがあるとして出口をふさいで)、この新興宗教の「正当性」を演出し自己増殖を図っている。阿部元首相暗殺事件が、旧統一教会の「闇」をあぶり出した。類似例としては、1995年、地下鉄サリン事件がオウム真理教の「闇」をあぶり出したことが思い出される(事件当時、私はロンドンに駐在していたが、その数ヶ月前は東京に在住し、事件のあった東京メトロ丸の内線霞ヶ関駅が通勤ルートだったので他人事とは思われない事件だ)。
分野は違うが、東日本大震災(2011年)前の東京電力が、自らの経済力を産業界、学術界、マスコミ、官界、政界等に広くばらまき、「発言権」を確保し、地域独占を必守+批判封じで「帝国」を築いていたのを思い出す。経営の意識を組織増殖方向に向け過ぎていたのか、結局、原発の非常電源を津波リスク(認識はされていたが経営陣が軽視した)のある海側に作るとという大チョンボをやらかして自滅。先日、地方裁判所レベルながら、株主代表訴訟で、取締役の大チョンボだったと認定された(13兆円もの賠償、旧経営陣→東電)。東日本大震災が、東京電力の「闇」をあぶり出した。
組織というものは、レベル感の差はあれ、本来求められている役割の追求の他に「自己増殖」が目的化するようだ(組織の自己増殖性)。そして、自己増殖ドライブが度を越えて強い組織が暴走していたことが、その後の一見関係がないように見える事件を契機に明らかになる。組織は、閉鎖的であるほど暴走リスクが高く、多様性を含んだ開放的な方が安心してみていられる。