昭和という時代

昨夜は、私の銀行勤務時代(1985-2016年)の知人達と(見知らぬ多くの若人に交じって)大規模なビアガーデンで一杯。私がサラリーマン引退直前ということもあるのであろうか、(なんとなく雰囲気が我々の若い頃とは違う)多くの若人を見て、代替わりが進んだと感じた。また、社会の中で活躍しだした長男S(29才)や次男Y(27才)にも、同じ様なことを感じる。昭和に育ち平成で社会の一翼を担った我々ロートル世代vs平成に育ち令和で社会の一翼を担う若い世代。ベースにある(意識するしないに関わらず)世界観・価値観が結構違うのであろう。

ロートル世代は、特に大企業の労働環境は「一括採用・終身雇用・年功序列」で(息苦しさはありつつも、経済成長・右肩上がり経済・組織拡大がそれを掻き消し)安定していた。その中で社員は、一括採用で入社し、給与をもらいながら教育を受けて、定年まで働くことが保証され、定年後も安定した(公的+企業)年金が支給された。これを、後世の人は、特殊な「昭和雇用モデル」と名付けるかもしれない。私は、英国・米国・中国で10年間以上勤務した経験から、また、日本でジョブ型(⇔コミュニティー型)の企業で6.5年間働いた経験から、この「昭和雇用モデル」の世界の中における特殊性には以前から気づいていた。

一方、今の日本は、その特殊性から脱して世界標準モデルに向かっていると感じる。今後一層、企業の採用は通年化し、個人はキャリア・処遇アップのための転職を繰り返し、グローバルな舞台で人種・年齢・性別にとらわれない個人間競争が激しくなるはずだ(各人がキャリアプランを責任をもって企画・実行する時代。退職金の運用責任を企業から従業員に移す動きと似ている)。海外の大学を卒業し、職業人生を海外をベースに独立事業主としてやっている長男Sが言う「今の日本の大企業に所属することはリスクが高い」と。個人の自己責任の時代となり、個人と企業の関係が大きく変わってきたことが、我々ロートル世代vs若い世代、世界観・価値観が相当程度違い、結果としてその発する雰囲気もまた違うのだ。

違う切り口で言うと、我々ロートル世代は所属組織を「小宇宙」として生きた/生きている、若い世代は「社会全体」の中で自分を基軸として生きる/生きざるを得ない。長男Sが言う「今は親父の住んだ時代とは違うんだ」と。