現状確認

結構心身に疲れが溜っていることを自覚する。老化のためかと思いつつも、あらためて考えると過去2-3ヶ月間(卒サラ生活の中では)激動の日々※だったと思う。向こう半年間(年内)は、新中野リノベと初孫案件以外、平穏な日々を予想できることがせめてもの救いだ。

※ 5年ぶり新幹線・飛行機で関西1泊、監査役そしての仕事2回、1年越しの叔母相続案件尽力(→目途がついてきたので、現状最後の詰めに着手!)、半年越しの墓じまいプロジェクト完了、大腸ポリープ切除内視鏡手術1泊、1年越しのおひとり様終活ヘルプ案件(とりあえず)完了、初孫誕生準備、旧友と同窓会を含めてソーシャル活動多数、モルジブ旅行8日(時差4時間、片道24時間超、南国)、新中野リノベ企画継続、農園運営継続、箱根峠庭(とりあえず)完成、長男Sの会社の事務、大家業務(テナント入れ替え・更新)、証券投資体制再構築・運営、等々。

心身に疲れが溜っていると、心が弱気になり、日常のルーティーンは軽微なこともあり(空き時間は結構ある)、ネガティブバイアスに襲われる易いことには閉口する。一方で、経験則では、そういう時にこそ思考が深まったり、良い本・情報に出合ったりすることが多い。今般も、私の向いている方向性について考えがまとまってきた。

人間は600万年前にアフリカでチンパンジーから分岐して以降、脳を大きくして、他者と協力レベルを上げながら生存確率を高め食物連鎖の頂点に立ち、ついに1.2万年前に農耕開始を契機として「生物圏」から「人間圏」に脱出して、以降、地球の歴史の尺度からすると垂直的に今の文明を築き上げた。脳が、新しい環境に適応するために万年単位の時間が必要で、文明発展が垂直的すぎてまったくもって環境変化に追い付いていない。また、「人間は脳が大きくなりすぎて、動物が本来持つべき限界を超えてしまい、間違った概念まで持つようになった。でも限界を超えてしまった脳のおかげで、誤った概念を自分で訂正する力も手に入れた。間違った概念をどうやって是正していくかという道を考えついたのがブッダ」という説明に接して、なるほどと思った。結論、(脳を使って)環境(脳の想定環境、および、文明が作った環境)および脳自体と真摯に向き合う必要がある!

あるブッダ研究者が「私も釈迦の教えが真理だと信じているし、その中で生きています。けれども、さまざまな出来事が起こったときに自分自身を一人で支えることができるのは、釈迦の教えとは別の主観的な宗教体験だと思っています。二つのものが別々にあって、両方ともがその人にとっての真理だとしても全然構わないはずです」と言っていた。確かにブッダ100%の生き方(≒自己・自意識を100%ゼロにして「苦」から逃れる)は、方向性としては/頭では大いに賛同するものの、凡人では実現は無理だと思う。仮に「ブッダ50%」(≒自己・自意識を相当程度弱める努力をする)として、「残り50%」は何か別のもので自己を支える/苦から逃れるというのが直観的イメージとしては妥当感/現実的であると思う。思い当たる節がある。私は過去の亡母の言動の影響もあり「生後1ヶ月でなくなった亡兄が私を常に守ってくれている」と信じてる面があり、教祖・教義・救済がなく超越的なものの存在のみを認識する神道が心地よい(⇔大乗仏教を含む一神教にはストーリー感が強すぎて違和感を感じる)し、また、仏壇やお墓の前で祖先と会話することで一定の心の安らぎを感じる(昨日も赤坂見附を通ったので墓で30分間を過ごした)。これらが、前述のブッダ研究者が言う私の「主観的な宗教体験」※ なのかもしれない。

※ ChatGPTによると、主観的な宗教体験とは、個人が直接的に感じる宗教的な経験や感情のことを指します。これらの体験は、宗教的な儀式や祈り、瞑想、自然との一体感、霊的な啓示などを通じて生じることがあります。

【今日の1日/曇】6時半起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。知人から相談受け。朝食。叔母相続案件。昨夜の後処理。読書。2人昼食@荻窪。叔母相続案件(司法書士・不動産業者)。大相撲観戦。(皇居ラン)-打ち上げ@神田。就寝。(一言)

【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)夢をかなえるマンダラチャート 人生後半、そろそろ仏教にふれよう

【OUTPUT】マンダラチャート維持。

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