瞑想

YouTubeで「ブッダの見つけた苦しみから逃れる道」を視聴した。なんだ、ブッダって、今で言うと、宗教家と言うより「脳科学者+ヨガインストラクター+インフルエンサー」だったのかと思った。また、瞑想の基本的方法論は、「呼吸に集中」「心の動きを観察」等、ヨガ教室(個人的に、2016-2018の3年間、新中野のヨガ教室に通っていた)で繰り返されるものと同一だった。また、自律神経に触れる唯一の窓口は呼吸という最近の知見にも合致していた。

曰く、「(約2600年前)仏教は(インドの王宮生まれの)ブッダが菩提樹の下で悟りを開き始まった。悟り(←人が感じる悩み・苦しみを超える←四『念処』身(五感)・受(感情)・心・法(諸々の事象)に注意を振り向けてしっかり把握)の契機となったのが瞑想である。瞑想を通じて仏教の誕生・変遷をたどる。ブッダの瞑想(←従来のインド古来の瞑想の模倣から開始して、独自のものを生み出し、その技術を言語化した)はどのようなものかを解き明かす。ブッダは瞑想すなわち『心身の観察』によって苦しみ(←生・病・老・死+愛別離苦(親子・兄弟・夫婦など、愛する人と別れる苦しみ。)・怨憎会苦(自分が怨んだり憎んだりしている人とも会わなければならない苦しみ)・求不得苦(求めるものが得られない苦しみ)・五蘊盛苦(迷いの世界として存在するすべては苦であるということ)=四苦八苦)から逃れる道を見いだした。『苦しみは心が生み出す』という気づきへと至るブッダの瞑想をひもといていく。」

瞑想≒マインドフルネスを訓練し、新たな心の回路を作り、心を整える技を身に着ける。一点集中の「止」ができるようになれば、そを広げ複数のものを個別認識する「観」に域に達し(≒認識の粒度を細かくする)、認識したものに執着せず受け流すイメージと理解した。喜・楽にも極端にならず中道・中立が重要と。色(対象物)を名(心)がとらえる(識別作用)のが「第一の矢」で、それに基づいて「第二の矢」として心が動く・膨張(いろいろな思いが湧く=戯論(けろん))する。その「第二の矢」(=戯論)が苦しみを生むとのこと。執着すればするほど、作用反作用的に、重いものが心に残ることは経験則でもその通りと思った。認識の上、さらっと受け流す!「仏教=脳科学+ヨガ」と考えれば、仏教が身近に感じる。

【今日の1日】4時起床。ブログ書き。朝食。世界体操視聴(日本1位&3位)。朝風呂。SNS受発信。情報収集by新聞・TV。庭整備。夫婦家計会議。ガソリンスタンド(+灯油)ー買物-昼食-農園(イモ類等収穫、ニンニク作付け)-ゴルフ練習場。夕食。 体力回復途上。 

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