赤ちゃんの目

初孫と2時間接して思った。赤ちゃんは置かれた状況を理解するために一生懸命になっていることが目を通じて伝わってくる。それに比べれば、大人の目は総じて死んでいるように見える。

赤ちゃんの目が「生きている」と感じられるのは、まさに彼らが世界を新鮮に、直接に受け取り、まだ言葉や概念でフィルターをかけずに「まるごと」受容しているからだろう。彼らは、自我や先入観なしに、五感と全存在を使って状況を把握しようと「今・ここに集中!」を自然と実行している。その様子が目の輝きに表れ、私たちに「生きている」と感じさせる。

一方、大人の目が「死んでいる」と感じられるのは、認識のプロセスが自動化・形式化されてしまっているからだ。例えば、あるものを「花」と認識した瞬間に、花というラベルで情報処理が完了し、それ以上の観察や感じ取りが行われなくなる。つまり、「知っているつもり」になって、観察も思考も止まる。「今・ここに集中!」が感じられない。これは、利便性と引き換えに、感性や探究心が鈍っていくプロセスとも言える。

言葉の功罪(言葉が思考を助けると同時に、感性や観察力を奪う)、五感で「今・ここに集中!」。。。赤ちゃんの目から学んだ。

【今日の1日】雨。4時半起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。朝食。ゴルフ準備・中止対応。原稿書き。昼食。原稿書き。夕食。阪神タイガース観戦。就寝。(一言)阪神、連勝!

【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか by 今井むつみ・秋田喜美

【OUTPUT】マンダラチャート維持

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