このブログが601号だ。日次ブログが1.5年間超も継続できている!大相撲の「1日一番」ならぬ「1日一題」を心掛けていたら「チリツモ」的に達成できた。ブログ作成を通して、世の中および自分自身の心をより注意深く観察するようになったし、知見(特に、人類学と脳科学が人間理解に使えると分かった)を深める方法論「キーワード発見→検索→動画→読書」も確立しつつあり、なによりもINPUT-OUTPUTの好循環ができつつある。また、このブログを少なくともあと500号(合計約3年間)、および、小まとめしたコンテンツとしてのエッセーをしっかり積み上げて電子書籍を出版する目標も見えてきた。言い換えれば、自らの世界観を作り上げそれを言語化して他者に影響を与えること(≒インフルエンサー≒布教的)に挑戦するということだ。(まあ、自己を深めることが一義的なので)自己満足に終わっても問題がない認識でもある。
昨日の知人とのランチ議論は極めて有意義であった。知人はある世界観に傾倒しその実践を通して「心の平穏」と「生きる推進力」を得ようとしている(演繹的な生き方)。現役サラリーマンながら「サラリーマン世界観」をあまり意識していないと。一方で、私の場合は、37.5年間の「サラリーマン世界観」の呪縛からから卒サラ@還暦で1.5年前に解き放たれ、最近ようやくリセットが完了し、現在、自分独自の世界観(≒人間観≒人生観≒価値観)をこのブログ作成を通して、知見を深め、INPUT-OUTPUTの好循環を作りながら構築(=哲学)中である(帰納的な生き方)。
昨日の話は大変興味深く、多くの共通の関心事項を議論したがベクトルは真逆(演繹⇔帰納)だった。ある世界観を実践する知人と新たにエッジの切れた独自の世界観を構築しようとする私(実践⇔構築)。私からすると、世界観は当然に自分自身がオリジナリティーをもって作るものとなるのだが、知人としては世界観を独自で作るなど壮大すぎでそのための思考よりも実践こそより重要・有意義となる。まあ、弁証法(対立する2つの概念を解消してより高次の概念に発展させる思考法)的に考えれば「人生を深めたい」(≒「心の平穏」「生きる推進力」を獲得したい≒「一定の境地」に到達したい)ということでは最終的には一致する方向かもしれない。実際、知人が「演繹・実践」私が「帰納・構築」の看板を掲げながらも、知人は経験をもとに修正したり、私は作った世界観をもとに実践することを考え合わせれば、ともに両方の要素を持っており、違いは看板=主たる意識・着目点(方法論)だけで、ともに「型から入り型を破る」を行えば向かう先は同じようなものかも。
【今日の1日/晴】6時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。朝食。ルンバ清掃。叔母相続案件対応。墓じまい案件対応。銀行手続き。マンション管理会社対応。税務署-昼食@中野。買物(リアル+ネット)。昼寝。読書。7人宴席@新宿。就寝。(一言)人と表面的に付き合っても時間の無駄で、踏み込み気味に付き合う方が有意義なことが多い。また、知見として深めるべきは人類学と脳科学で、人間・自己への洞察への近道だ!
【短期目標=方向性】身体↑+心の制御↑(心の平穏+生きる推進、顕在意識⇔潜在意識、Must軸→目的・目標軸、人間≒脳≒心に対する洞察)+「道具+技術+知識・思考=世界観=生活・実行=習慣」↑【中期目標】INPUT⇔OUTPUTの好循環→ブログコンテンツ蓄積↑(言語力)。箱根峠宅の庭構築・利用↑(空間力)。家計認識・運営↑(数字力)。【長期目標】人生の結章:ブログ→「卒サラ@還暦してわかった人間≒脳≒心! 人類学と脳科学の知見で世界観を作ってみた」を出版(内省力、科学的知見を梃子に「人間の深み」を哲学する)。ファミリーツリー運営+自然と共生。【メモ】70才まで9年弱、80才まで19年弱、90歳まで29年弱(初孫28才)、100才まで39年弱。