自尊心(自分を尊いと思う心。自分に対して肯定的な態度。自信の有無は直接関係ない)は、コミュニティーの中で個体を頑張らせる応援歌だと思う。人間は、他の種に比べて、必ずしも高い身体能力を持っておらず、(脳を大きくして、かつ、)コミュニティーを形成し成員間の協力で生き残ってきた。コミュニティーにおいて、個体を勇気づけ背中を押して一歩を出させるのが自尊心だと理解している。
よく似たコンセプトであるブライドには要注意だ。自尊心(Self-esteem)は、自分ベースの自分であるのに対して、プライド(Pride)は、他者(比較)ベースの自分である。自尊心は、自分の存在そのものに価値があると感じるのに対して、プライドは、他者比較において自分が上(または下)だと認識する。プライドは、自分の価値が他者との比較の中で決定するので、自分の価値は、常に揺らぎ、不安定なのでので、心は常にざわつく。 一方、自尊心は、自分の価値を認識するのに他者は必要ない。 他者がどうあれ、自分の尊さには揺らぎがない/安定している。
困ったことに、他者との比較は、コミュニティーの中で自分の特徴を認識させるためにDNA(脳)に埋め込まらた仕掛けでもあるので日常的/無意識的に行われている。自己肯定感・自尊心を、育った環境・過去の経験等何らかの理由で育めなかった場合(欧米人は、自分に自信を持ち、他人に負けないように自己主張するように育てられるが、日本人は、思いやりを持ち、自分勝手な言動は控え協調性を身に付けるように育てられる文化背景があり、自己肯定感・自尊心が育ちにくい面がある)、人は「他者比較→プライド」に心の置き場を求めざるを得なくなるのではないか。結果として、プライドでは、日常が不安・恐怖との戦いとなる(⇔自尊心では、日常が安心・喜びである)。その罠に陥らないためには、しっかりとした自尊心(自己に対して一般化された肯定的な態度=自分ベースの自分に対する肯定感=あるがままの自分を受け入れる)が必要だ(無意識が行う他者比較は、さらっと受けながす!)。
前述の通り、 自尊心(自分を尊いと思う心。自分に対して肯定的な態度。自信の有無は直接関係ない)は、コミュニティーの中で個体を頑張らせる応援歌だと思う。ただし、脳が自然体で想定しているコミュニティーは狩猟採集時代の最大150人レベルと思われ、現代社会のそれとは規模・複雑性でギャップがある。この辺りは、理性でコントロールと言うことだろう。
【今日の1日】5時半起床。家事一般。朝風呂。朝食。情報by新聞・TV。YouTube。サイト運営。昼食。買物。阪神タイガース応援。大河ドラマ鑑賞。夕食。 (一言)今年の阪神タイガースはイキイキしている感じがする。