最近のブログで、脳の志向に反して、現代社会を「結果主義・競争主義」とした。人間が何百万年も経験した狩猟採集時代に比べて(人類の歴史で狩猟採集時代でない時代は1.2万年だけ!)、もっと特徴はないだろうか? 狩猟採集生活では、食うか食われるかのリスクの高い世界で、小規模で平等的(最大150人の)協力共同体だっと想像される。
明らかに巨大な共同体(究極的に人類全体80億人←貨幣・通信・交通が可能にしている)を築き、その中に巨大な都市・組織が存在している。大きな組織はヒエラルキー(⇔平等的)・ルール/法を必要とする。日常生活で生死にかかわるリスクは激減し、各種道具・生活インフラにより生活は極めて便利だ(含む、広範な移動)。また、多くの物に加えて、大量の情報(情報化社会)に囲まれて生活している。相当程度細分化・分業化された経済活動の中での「結果主義・競争主義」は格差(⇔平等的)を生み、無視できないレベルになっている。実は、狩猟採集生活→農耕定住生活でも労働時間は伸びたと言われるが(安定した大量食料の代償?)、農耕生活→工業化・情報化生活ではさらに労働時間が延びているかもしれないが(便利な生活の代償?)、一方で乳児死亡率の低下や医療技術の向上もあり平均寿命は延びている。
人間は、生まれる時に狩猟採集時代のイメージの脳をもって生まれてくるとすると、かなりハードな環境適応を迫れれていると言える。
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