食べ物とお金

人類は、狩猟採集時代には、ほとんどすべての覚醒時間に食べ物(生き抜くための必須のアイテム)のことを考えていただろう。現代(の分業社会)においては、生き抜くための必須のアイテムはお金だ。お金には、交換手段(→分業社会)、価値尺度(←貨幣社会)、 貯蔵保存の機能がある。お金は食べ物と違い貯蔵(価値保存)が容易なので「もっともっと」となり易い(生存に有利なことなので脳も歓迎)。言い換えれば、食べ物蓄積は有限的だったのに対してお金蓄積は無限的だ。加えて、資本主義はその「もっともっと」を煽る。結果として「もっともっとお金→モノ・サービス購入」の無限ループに入りやすい(→人生の目的化?)。ただし、幸福感最大化をベースに考えれば、「もっともっとお金」は必要条件で、十分条件ではない(多くの人は「無限ループ」の中でそれを見失う?)。つまり、「もっともっとお金」の考えとはどこか(「貧すれば鈍する」かどどうかの分かれ目ライン?)で線を引き、そこからは距離をとり(「無限ループ」から脱して)、幸福感最大化を実現するお金以外の何かを明示的に得ようとすることが必要である。現実に目を転じれば、多くの人は「お金は手段」とは口ではよく言うものの、それをしっかり実践している人は少数派なような気がする。

【今日の1日/晴】6時半起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。朝食。ルンバ清掃。箱根峠-昼食@海老名SA-中野。阪神タイガース観戦。2週間分の郵便対応。買物。夕食。就寝。(一言)阪神、開幕2完封連敗。。。

【人生の羅針盤】マンダラチャートが使えることはわかったが、まだまだ、深める余地がある。

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