「人生後半、そろそろ仏教にふれよう 」という本を古舘伊知郎が仏教学者と共著で世に出そうとしている。「日本では大乗仏教が浸透しているが、本来の仏教は原始釈迦仏教。自我をなくしていけば、人生の苦しみが軽減される。老・病・死に直面する人生後半こそ、ブッダの教えが効いてくる。釈迦の仏教は論理的な真理であり、科学との共通点が多い」と。私は(親から引き継いだものの)大乗仏教には興味が持てないが原始釈迦仏教には大いに興味があるので、(Youtubeでも確認したが)古舘伊知郎の原始釈迦仏教への造詣には大変勇気づけられる。実際(一定の理解が既にあれば)仏教学者・宗教家の説明よりかなり分かりやすい!
彼は、Youtubeで、「人間の多くの苦しみは承認要求に端を発している。背景は人口密度が高すぎること。付き合うが気にしない態度が必要」という趣旨のことを言っていた。同じようなことは養老孟子も言っている(逆に、人の少ないところでは、人は他者に積極的にかかわろうとするとも)。では、なぜ、人はなぜ承認欲求を持つのか。人間は、社会的動物で、社会の中でしか自分の生や生きがいを実感できない動物だ。社会の中でしか自分を実感できない人間が、より良い感覚になれるのが「ほめられる」「認められる」「尊敬される」ことだ。つまり、人が承認欲求を持つのは、社会の中で生きていることを実感したいから。要は「帰属感」。
人間は脳を拡大して、他者と協力して(社会を作り)、食物連鎖の頂点に立った。ただ、1.2万年前の文明テイクオフの時150人程度の集落での共同生活で、脳の社会の定義は150人程度の大きさと思われる。文明テイクオフ後、人間が作り上げた文明社会は、極論すれば80億人が薄くつながった世界で、脳の認識とサイズ・深さ感で大きなギャップがある。これに限らず、「現代文明社会が作った環境⇔脳の想定環境(←脳が新たな環境に適応するには万単位の年月が必要)」および「他の動物比での人間の特徴」を各自が深めないと人間理解が進まない。
【今日の1日/雨】6時半起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。朝食。Youtube。郵便局-知人宅。昼食。SNS受発信。Youtube。夕食。就寝。(一言)雨の一日、旅の疲れ落としat home。
【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)夢をかなえるマンダラチャート
【OUTPUT】マンダラチャート維持。