お金と神

お金と神は、ともに、人が創作した偉大なものだ。お金は物々交換経済から脱し分業社会を支える重要なツール・仕組み。神は、人が、根源的な苦悩・不安に立ち向かうために創作したもので、人は神を信じるとき自我を神に委ねて自分自身の苦悩・不安を軽減・解放させようとする。

お金と神は、ともに、その偉大さゆえに、人が過度にのめり込むとき、極度な拝金主義や(宗教の教義に洗脳されて)宗教的過激が生まれる。法を犯して大金を得ようとする人は絶えないし、後者の例としては、日本では、オウム真理教や旧統一教会等の過激性が知れ渡っている。

人は、お金と神(=自分の外に認知する何か絶対的なもの)を「肩の力を抜いて」に認識し、「適切な距離感」を保つようにしなければならない。

私の場合、お金については、サラリーマン引退を機に、主たる意識を「如何に貯めるか」(今まで軽度の拝金主義だったかもしれない!?)から自己の価値観をベースに「如何に使うか」に使うかにシフトが必要だ。

各宗教とは、それが神の認知を集団の中で安定的に機能させるための単なる仕組み・ストーリーであること理解の上、その教義を精査して、付き合いたければ付き合うということだろう(信仰は自由)。なお、私個人としては、日本古来の八百万神を認知する(明示的な教義はない認識)程度がちょうど程よい感じだ(典型的日本人!? 神(=自分の外に認知する何か絶対的なもの)認知は有益と思うが、宗教は道徳的な参考程度のもので特に必要とは思わない)。自然に囲まれた箱根峠宅を主たる住居にして2.5年、その思いが固まった。

1件のコメント

コメントは受け付けていません。