悟りの入口

自意識(「自分が自分であると感じている意識」つまり「私は〇〇だ」と認識する内的感覚。これは、自己同一性・自尊心・社会的役割などを含んだ複雑なも)を客体視することが(この定義も難しいが)悟りの入口? 「自分」を固定化してしまうと、苦しみが生まれやすくなる。「こう見られたい」「こうあるべき」という欲や執着、過去の失敗や未来への不安へのとらわれ、これらはすべて「自意識」と密接に結びついている。また、「客体視する」とは、自分の内面をあたかも他人やカメラの視点で観察すること。心理学では「メタ認知」、禅では「観照」、仏教では「止観」「無我の洞察」とも言いう。つまり、客体視とは「自分を、自分ではない視点から眺める」こと。

では、なぜ、自意識を客体視することが、悟りの入り口になるのか? ①「私」へのとらわれが緩む。。。「私はこういう人間だ」と強く思い込んでいると、その枠に縛られる。客体視により、その思い込みに「距離」を取れるようになると、柔軟な心が生まれる。②感情や欲望に巻き込まれにくくなる。。。怒りや嫉妬が湧いたとき、それを「怒っている私」と一体化せずに、「怒っているという現象が、今この心に起きている」と観ることで、反応的にならず、自由な選択が可能になる。③無常・無我の理解へつながる。。。仏教的には「我(アートマン)は固定的ではない(無我)」という洞察が悟りへの核心。自意識を客体視すると、「自分だと思っていたものが、ただの思考や感情の流れにすぎない」と気づくことができる。

ただ、「自分を観る自分は誰?」と言う問題に突き当たる。この問いの面白さは、正解を他人から受け取ることはできないという点にある。瞑想や内省を通して、その「観ている自分」に気づくことができる。でも、その「観ている自分」を「私だ」と言った瞬間に、それを観ているさらに別の視点が現れる。だからこそ、多くの宗教・哲学者がこの問いを「言葉では尽くせない」「体験的にしかわからない」と述べてきた。

【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。朝食。ゴルフ(含む、昼食)夕食。阪神タイガース観戦。(一言)阪神、また逆転負け。5連敗。。。

【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか by 今井むつみ・秋田喜美

【OUTPUT】マンダラチャート維持

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