宗教について考える。何か? 個人が心の軸を持てない(独自で哲学/世界観・人生観・死生感をつくれない)とき人が着る心の持ち方の「既製服」。リターンは? 「大きな物語」と自己を接続することによる安心感。リスクは? 選択肢の一つであることを忘れ絶対視してそこからしか世界を見なくなること。
宗教は、個人がゼロから構築しなくても「人生とは何か」「死とは何か」「生まれる意味」「善悪の基準」「死後の世界」「苦しみの意味」という根本的問いへの答えをパッケージとして提供してくれる。これらを独力で考えることは、知的にも精神的にも大きな負荷がかかる。宗教はそこに「解釈済みの答え」を与えてくれる。
自分の人生が、神の意志や宇宙の法則というスケールの大きな流れの一部だと感じられる。宗教の最も大きなリターンはこの「大きな物語」への参加。個人の苦しみや死に意味があるとされる。自分の存在が「孤立した偶然」ではなく、「物語の中の必然」として位置づけられる。これにより、自己の根拠が外部(絶対的な何か)に置かれ、自己肯定感や耐久力が高まる。
「選択肢の一つでしかない」という視点を失うと、それは「教義」から「ドグマ(絶対化された信念)」へと変質する。自他の多様性を否定し、自分と異なる価値観を持つ人を排除する思考が生まれやすくなる。思考の停止を招き、未知や矛盾に対する耐性が弱くなる。宗教が人を救うこともあれば、逆に分断や攻撃性の源になることがあるのは、まさにこの「絶対視」が原因。
一方で、「自分だけの哲学を持てる人」は実は少数派かも。多くの人にとっては、既製服であっても、良く仕立てられ、身体に合えばそれで十分で、独自の哲学をつくるにも、既製服を参考にするところから始めるのが自然とも言える。つまり、宗教は「心の既製服」として、多くの人にとって必要で有益な装置になりうる。ただ、「選びとった服」だという自覚を失い、「これしかない」と信じ込むと、思考も視野も狭くなるリスクがある。その意味で、「宗教を信じること」よりも、「宗教という現象をメタに捉えること」が、現代の成熟した知性に求められている態度だ。
【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。朝食。庭整備。昼食。家内清掃。休息。夕食。阪神タイガース観戦。(一言)
【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)自律性を整える。Tarzan 特別編集
【OUTPUT】マンダラチャート維持
