宗教は「心を整える」働きを持つ。祈り、瞑想、儀式、教えの言葉は、人間の不安を和らげたり、心の軸をつくったりする大きな力になる。一方で、多くの宗教は「心を整える=心の平静」にとどまらず、そこから先の「価値観」や「生き方」まで導こうとする。宗教が価値観まで介入するのは、個人を支えると同時に、共同体全体を統合する役割を歴史的に果たしてきたからだろう。ただし、現代の個人主義社会に生きる私達からすると、「心を整えるまではありがたいが、その先は自分で選びたい」という思いになる。つまり、宗教は「心を整える技法」と「価値観を規定する体系」の両方を持ち、前者だけを借りて後者は距離を置くというスタンスを志向することになる。この志向は、歴史的には少数派でも、現代では多数派に近いのではないか。現代の都市化・個人主義社会になると、(宗教でなく)法律や科学が社会秩序を担い、道徳や価値観は多様で良い、という合意が広がっているので、宗教は「生き方を決める枠組み」よりも「個人の精神的サポート」の役割の比重が重くなる。そのため「心を整える術だけ借りたいが、価値観は押し付けられたくない」という考え方が一般的になっている。例外は、宗教が社会全体に強く根付いている地域(例:中東や一部のアメリカ南部)、共同体との一体感を重んじる環境(田舎の伝統社会など)、自分の価値観を「宗教に委ねたい」と思う人々なのだ。日本社会全体では「宗教は心の支え・儀式の伝統ぐらいで十分」という人が多数派ながら、一部の宗教を強く信じる人々(≒自分の価値観・哲学を持つことの代替として宗教を選択した人々)は、信仰を行動や価値観に濃く反映させる。個人的には、特定の宗教を信仰しいないが、総論としては、技術(心を整える部分)は参考にする(実際、宗教が培ってきた「心を整える技術」の多くは現代科学で裏付けられている)が、規範(価値観の押し付け)には距離を置くスタンスだ。つまり、宗教は「文化や知恵の宝庫」としての側面を意識している。
【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。オイルうがい。朝食。朝ヨガ。健康診断-AppleShop@新宿-本屋-昼食-喫茶。読書。夕寝。買物。料理(スープカレー)。夕食。就寝。(一言)夏バテ解消傾向ながら、ゆっくりとした歩み。
【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)心配事の9割は起こらない 枡野俊明
【OUTPUT】マンダラチャート維持
