宗教は依然として意味の供給源であるものの、現代社会においては特に「貧すれば鈍するライン」以下(=生活・心の不安定層)に対して強く機能している。①「貧すれば鈍するライン」と宗教の関係構造。。。このラインは、「生存への不安」が人間の思考・行動を支配し始める心理的・経済的な閾値。ライン以下-貧困・孤立・病苦・戦争・災害など-不安・恐怖・無力感 「救済」=存在の保証を与える。ライン付近-不安定な中流層・過労・喪失体験-意味の問い・不条理への怒り -「希望」=心の支え・再生の物語を与える。ライン上-安定・教養・自由時間-自己探求・創造-宗教よりも「哲学」「アート」「瞑想」に移行。つまり、宗教の機能は、経済的・心理的に不安定な状況ほど強く働く。逆に、安定層では宗教よりも「自分自身による意味の創造」へと関心が移る。②なぜ宗教は「救済」の形で残るのか。。。宗教の原初的な力は、まさに「不安の中での秩序回復」。そのため、文明が制度的に成熟するほど、宗教は「制度の外」=制度が救えない領域をカバーする存在に後退。具体的には:災害や戦争で全てを失った人にとって → 「神は見捨てない」という言葉が心の支えとなる。絶望・病苦・喪失を抱える人にとって → 「苦しみの意味」を与えてくれる。社会的に排除された人にとって → 「無条件に受け入れる共同体」を提供する。このように、宗教は制度が届かない「心の安全網」として今も生き続ける。③一方、安定層は「宗教的機能」を自力で再構築している。。。安定層では、宗教そのものよりも、宗教が果たしてきた機能(意味づけ・内省・共同性)を世俗化した形で再現。宗教が担っていた機能 現代の代替手段は、祈り・瞑想-マインドフルネス、内省、瞑想アプリ、説法・経典-哲学書・心理学・エッセイ・ポッドキャスト、儀式・礼拝-ライフイベント、習慣化、自然との対話、共同体-オンラインコミュニティ、趣味サークル、NPO活動。つまり宗教的要素は形を変えて生き延びている。人は依然として「意味」を必要とする生物だから。④まとめ:宗教の位置づけの変化。。。かつて宗教は「人生の全体構造」を導く枠組みだった。いま宗教は「制度と自我のはざま」で苦しむ人を支える最後の安全網となった。その一方で、制度の内側にいる人々は、宗教の役割を、「哲学・アート・対話・瞑想」といった個人の意味創造活動として再構築している。
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【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)心配事の9割は起こらない 枡野俊明
【OUTPUT】マンダラチャート維持
