学校・会社と組織に属していた55.5年間、組織内の事で一喜一憂したような気がする(ある意味、それで時間を潰せた。ざっくりと70-80%の脳のキャパシティーを使っていたイメージか)。今はどうか? 外部から心をアップ・ダウンさせる刺激が限定的なので、逆にその様な刺激があると過度に反応してしまう(瞬間的に70-80%の脳のキャパシティーが活動の場を失った面がある。→淡々と生きようと思う!)。
つまるところ、生きていく上で「心の持ち方」が重要であることがあらためて分かってきた(ある意味、「心の持ち方」が全てだ! 組織所属時代でも実はそれが正解だったかもしれない!? また、ブッダの指摘「苦しみは心が生み出す」や最新の脳科学の発見とも重なる)。例えば、昨日は素晴らしい天気で、富士山が終日その勇姿を見せ、駿河湾の刻々と変わる表情も素晴らしかったので、その様な環境で日常生活を送れることを「幸せ!」と思えば至福感が広がった。要は、心の鏡で何を写し出してそれをどう感じるか。。。
カッコよく言うと、究極的には、人としての器の大きさ・見識の広さ・思考の深さが問われているように思う。まだ、言葉が熟れていないが、組織所属時代vsシニアライフには、(私個人としては)何か深いところで、結構大きな違いがあることが分かってきた。
【今日の1日】6:30起床。朝食。仕込み料理。朝風呂。SNS受発信。情報収集by新聞・TV。ブログ書き。買物@コンビニ。ワールドカップ観戦(生きるか死ぬか=勝負、個人の技術・躍動、組織プレー、時間軸、判断等の色々な要素があり見応えがある)。昼食。昼寝。ブログ書き。相撲観戦。夕食。夕風呂。 (一言)コンビニに豚肉があり助かった。