幸福感仮説

昨日のブログ(人間vs動物)で「人間は、私が私であるという意識をもっているが、動物はそうではない。(「なぜ私は私なのか」は哲学上の大問題のようだ)」と記した。で、さらに考えてみた。

人間は、この地球に生まれ/育てられた存在で、明らかに自然の一部だ。しかし、自分が自然の一部であることを、日頃意識している人は少ない。私自身も、自然豊かな箱根峠に3年前から半定住ベースで住んで、ようやく気が付いた感覚だ。自然との一体感!「私が私であるという意識」があるから自分というものに所有感があるが、もしそれがなかったら、明らかに/客観的に考えれば自分自身は単に自然の一部だろう。

昨日のブログに戻ると、人間は進化の過程で「意識」を得て、自己を自然から切り離して認識するのが常態化した。おそらく人間以外の動物は、進化の過程で埋め込まれたプログラムに基づいて行動しているだけで多少の感情はあるかもしれないが「意識」と言えるものはない(=人間以外の動物は、幸か不幸か、名実とも自然の一部的な存在)。人間は、意識・「私が私であるという意識」を持ったのは良いが、一方で、孤立感・孤独感みたいなものを感じており、素晴らしい景色に出会った時等に「自然との一体感」を感じた瞬間、大きな幸福感に包まれるのではないか? 自然に限らず、家族との一体感、応援するスポーツチームとの一体感、所属組織との一体感等、一体感が幸福感の主要源泉の一つなような気がする(意識・「私が私であるという意識」を持ったことの裏面!?)。

【今日の1日】6時起床。朝食。情報by新聞・TV。SNS受発信。休息。昼食。YouTube。夕食。 (一言)肩打撲の治癒スピードが遅い。。。

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