【まえがき】人生とは、何かを達成することだと思っていた。より高く、より遠くへ。欠けているものを埋め、足りないものを足し続けること。それが成長であり、前進であり、生きる意味だと信じて疑わなかった。
だが、どれだけ積み上げても、どこかに落ち着かない感覚が残る。満足感の賞味期限は驚くほど短く、次の目標がすぐに必要になる。その繰り返しの中で、ふと立ち止まる瞬間があった。
何かが足りないのではなく、そもそも人生の捉え方が違っているのではないか——。
振り返れば、私はいくつもの環境を渡ってきた。受験に過度に縛られない教育、海外での生活と仕事、異なる組織の仕組み、家族としての役割、そして都市と自然を往復する暮らし。それらは断片的な経験のようでいて、どこかでつながっている気がしていた。
正しさも、安心のかたちも、働き方も、人との関わり方も、環境によって変わる。もしそうだとしたら、自分が信じてきたものは、本当に絶対だったのだろうか。
もしかすると、自分は何かの前提に従って生きているだけなのではないか。その前提に気づかないまま、ただ自動的に選び、動き、判断しているのではないか。
本書では、この違和感の正体をたどりながら、人がどのようにして自分の生き方を形づくっているのかを考えていく。そして、人生を少し違う角度から捉え直すための視点を提示したい。
ここまで読んできたあなたは、いま、どのような前提で人生を見ているだろうか。
【あとがき】人生とは、何かを達成することではなかった。より高く、より遠くへ行く必要もなかった。欠けていたものを埋める必要も、足りないものを足し続ける必要もなかった。
落ち着かなかったのは、満たされていなかったからではない。立っている前提そのものが、ずれていただけだった。
60数年の人生を振り返ると、私はいくつもの環境を渡ってきた。受験に過度に縛られない教育、海外での生活と仕事、異なる組織の仕組み、家族としての役割、そして都市と自然を往復する暮らし。その一つひとつは、世界が一つではないことを、静かに教えてくれていた。
正しさも、安心のかたちも、働き方も、人との関わり方も、ひとつではなかった。絶対だと思っていたものは、ただのひとつの前提に過ぎなかった。
それは、「OS」だった。刷り込みによって形づくられた、自動運転の仕組みだった。
私は知らず知らずのうちに、そのひとつのOSに最適化されていた。評価されること、役に立つこと、効率よく成果を出すこと。それ自体は必要な力だが、それだけに従っていると、身体は疲れ、関係は細り、求めていた安心は遠のいていった。
本来、人には複数のOSが備わっている。身体の感覚に根ざした進化のOS。信頼やつながりを基盤とする関係のOS。そして、制度や役割を扱う文明のOS。それらは対立するものではなく、状況に応じて使い分けることができるものだった。
そのことに気づいたとき、人生の見え方は変わった。何かを目指し続けるのではなく、その瞬間どのOSで生きているのかを感じ取り、必要に応じて切り替える。さらにそれらを俯瞰し、静かに調整していく。
自分は、何かになる存在ではなかった。複数のOSを扱う、運転者だった。
すると、人生は加速するものではなくなった。競争に勝つ必要もなくなった。満たされるべき何かを探し続ける必要もなくなった。代わりに、崩さずに回り続ける日常が、静かな充足をもたらすようになった。
朝は自然に目が覚め、無理な予定を詰め込まなくなる。小さなことに満たされ、「もっともっと」という感覚が薄れていく。それは何かを諦めた結果ではなく、本来の状態に戻った結果だった。
人生とは、何かを達成することではなかった。どのOSで生きるかに気づき、それを静かに運用し続けることだった。
そして今、私はそれを、静かに回している。
【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。オイルうがい+白湯+朝ヨガ。朝食。休息。昼食。休息。夕食。阪神タイガース観戦。就寝。(一言)
【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語-自己・人間・世界を再解釈してみた」ドラフト
【OUTPUT】マンダラチャート維持
