人の関心は、常に同じ方向を向いているわけではない。人生のフェーズによって、そのスケールは大きく変化する。私自身、この三年間で関心の向きが大きく変わった。
以前は、世界の遠く離れた場所で起きている出来事にも強い関心を持っていた。ニュースや国際情勢を追い、どこで何が起きているかを把握することに価値を感じていた。これは、社会の中で生きるうえで自然な姿でもある。広く知ることが、自分の位置づけや判断に役立つからだ。
しかし、ある時期からその関心が薄れていった。遠くの出来事を知っていても、自分の中での意味が薄い。影響も限定的であり、関与することもできない。情報としては理解できるが、身体が反応しない。この違和感は次第に大きくなり、やがて「知っていること」自体への興味が低下していった。
代わりに関心が向かったのは、より身近な領域である。家族や友人との関係、日々の生活、二拠点での過ごし方。ここでは、自分が直接関与でき、影響し合うことができる。会話の一つひとつが意味を持ち、時間の使い方がそのまま生活の質に直結する。この段階では、関心のスケールは縮小したように見えるが、実際には解像度が上がっている。
さらに進むと、関心は外側の出来事そのものではなく、「それをどう感じるか」という内側へと移る。身体の状態、違和感、納得感、リズム。ここでは、世界は外にあるものではなく、自分の中で意味として立ち上がるものになる。遠くの出来事に対する興味が減ったのは、無関心になったからではない。関心の基準が、外部の重要性から、内的な意味へと移行した結果である。
この変化は、一見すると視野が狭くなったように見えるかもしれない。しかし実際には、処理のスケールが人間本来のサイズに戻ったとも言える。人類はもともと、限られた関係圏の中で生きてきた。直接関係する世界を深く理解することが、生存と安心に直結していた。
現代は、その処理能力を大きく超える情報が流れ込んでくる時代である。その中で、あえて関心の範囲を絞り、内側の感覚を基準にすることは、むしろ自然な調整である。
今の私にとって、世界とは遠くに広がるものではなく、日々の生活の中で立ち上がるものである。広く知ることよりも、深く感じること。その転換が、関心のスケールを変えたのである。
【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。オイルうがい+白湯+朝ヨガ。朝食。昼食。昼寝。移動準備。箱根峠-夕食@海老名SA-新中野。阪神タイガース観戦。就寝。(一言)
【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語-自己・人間・世界を再解釈してみた」ドラフト
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