知人から、介護離職およびその後の厳しい介護環境の話を聞いた。私も、呼び寄せ介護でなく遠隔地介護を選択していれば、同じようなことになっていたかもしれないと感じた。私が上海単身赴任時(2006-2008年の1.5年間)、妻Tに大阪の両親に対する支援を日帰りで依頼して実行した経験を踏まえて、彼女が「遠隔地介護は無理」と判断してくれたことが最後には効いた。その認識が、リーマンショック直後、東京のマンションが総じて2割安になった機をとらえて自宅と同一マンションの別戸を購入し呼び寄せ介護をするというアイディアの実行を可能にした。さらに、空いた大阪の実家を貸すことが私に不動産投資の可能性を示唆することになり、上手く時流にもうまく乗り、結果として、卒サラ@還暦、生活拠点2拠点確保につながった。逆に、遠隔地介護を選んでいれば、9年間(2009-2018年)は泥沼の遠隔地介護状態であったかもしれないと思うとゾーっとする。妻Tが正社員を続けられなかったと想像され、不動産投資およびその結果としての卒サラ@還暦+生活拠点2拠点確保はありえなかったと思う。今も、新中野だけに住んで細々とサラリーマンをしていただろう。呼び寄せ介護は、真に人生後半の分かれ目であった!
なお、自宅と同一マンションの別戸の購入には多額の資金を必要としたが、介護自体は経済的に±ゼロ的であった。呼び寄せ介護開始から2年間は両親は自立的。父死去後は、母を施設へ。年間費用は約250万円。約210万円は遺族年金、約40万円(扶養控除+要介護レベルを身体障害者レベルに読み替える手続きを区役所で実施して障害者控除)は節税で調達した。結果としてはそうであったが、父が亡くなった直後、社会保険事務所、ケアマネージャー、施設と忌引き休暇10営業日の間に、相談を重ねたことを思い出した。長生き時代に、介護にしっかりと向き合う必要性を改めて感じる。
【今日の1日/雨】6時半起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。朝食。読書。庭整備。昼食。ゴルフ練習。庭整備。読書。夕食。就寝。(一言)思えば、呼び寄せ介護決断の伏線として、上海単身赴任が体調不良で1.5年間で終了したことがあった。通常であれば、あと2-3年間ぐらいあっただろうから、その後、介護の泥沼に入っていたかも。思い返せば、人生には色々なターニングポイントがあるものだ。
【短期目標=足元】まずは身体のことを考え(「食事+睡眠+運動」)動きながら考える(便は心身の状況を雄弁に語る!)。大きなグランドデザイン+目的軸を意識しながら今に集中する(不用意に過去・将来に思いを馳せず他者比較は自己認識するためだけに行う)。「第一の矢」(潜在意識→感情→顕在意識)は受けるが「第二の矢」(過去・将来に無駄な意味づけ)は受けない。ポジティブな感情・意識にはポジティブなものが集まってくることを意識(ネガティブな言葉を自らが発するとパワーが削がれる)。結果として「心の平穏+生きる推進力」および「人間≒脳≒心」に対する洞察を得る。「知識+技能+道具+思考+協調=世界観+生活=習慣」を意識。予定=期日は推進ツールとして重要。ワクワク感を大切に(←変化を取り込み続ける)。タスクリストを有効に利用して目的・目標に向かう。間(ま)を有効に利用する。遊び心を大切にして脳をリラックスさせる。【中期目標=日次】INPUT⇔OUTPUTの好循環→ブログコンテンツ蓄積↑(言語力)。箱根峠宅の庭構築・利用↑(空間力)。家計認識・運営↑(数字力)。【長期目標=年単位】人生の結章:ブログ→「卒サラ@還暦してわかった人間≒脳≒心! 人類学・脳科学・心理学の知見で世界観を作ってみた 要は心の持ち方次第!」を出版(内省力、科学的知見を梃子に人間を哲学する)。ファミリーツリー運営+自然と共生/神道・神社で自然のパワーを認識。【メモ=死を知っているのは人間だけ、友達がいるのは人間だけ】70才まで9年弱、80才まで19年弱、90歳まで29年弱(初孫28才)、100才まで39年弱。人間には、自らの根源に生きるためにチャレンジする力がある一方で、生存をより確実に確保するためにブレーキ機能(無駄なことをさせないように飽きさせたり、期日がなければ無理しないようにさせたりする等→多種類のことを短時間に回転するように対応)もあることに留意。忘却力も生きる知恵(≒時間を利用して心をコントロール)。