宗教は道具?

宗教は「心を整える」働きを持っていまる。それは、宗教が誕生した大きな理由のひとつだ。一方で、多くの宗教は「心の平静」にとどまらず、そこから先の「価値観」や「生き方」まで導こうとする。倫理・道徳:「嘘をつかない」「弱者を助ける」といった指針を与える。人生観:「死後にどうなるか」「人生の目的は何か」を規定する。共同体の規範:「信徒同士でどうふるまうか」「異教徒をどう見るか」など。これは人間が単に心を落ち着けたいだけではなく、「どう生きるか」にも答えを求めてきたからだろう。宗教が価値観まで介入するのは、個人を支えると同時に、共同体全体を統合する役割を果たしてきた歴史的背景がある。ただし、現代の個人主義社会に生きる私達からすると、「心を整えるまではありがたいが、その先は自分で選びたい」という感覚になる。つまり、宗教は「心を整える技法」と「価値観を規定する体系(価値観の押し付け)」の両方を持ち、前者だけを借りて後者は距離を置く、というスタンスもあり得るはずだ。

【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信(含むブログ)。オイルうがい+白湯+朝ヨガ。料理。朝食。執筆。庭整備。昼食。執筆。夕食。執筆。就寝。(一言)

【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)心配事の9割は起こらない 枡野俊明

【OUTPUT】マンダラチャート維持

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