救済

宗教を卒業したと言いつつ宗教ネタ。AI曰く。「宗教における救済とは、人間にとって否定的な事態によって生が脅かされるとき、そこから脱することで、正常な、よりよきあり方に復帰すること。宗教学では、救いを重視する宗教を救済宗教と呼び、その代表はキリスト教、仏教、イスラム。キリスト教における救済とは、キリストの十字架による贖いの功績に基づいて与えられる恵みにより、信仰による罪の咎と束縛からの解放、そして死後にあって、超越的な存在世界にあって神の恩顧を得、永遠のいのちに与ること。仏教における救済とは、個人が悟りを得て、輪廻から外れ(解脱)、苦しみの多い(本質的に苦である)この世に二度と生まれてこない(転生しない)こと。」なるほど。確かに、救済という概念理解が宗教理解に必須だ。ということで、宗教理解のポイントを確認。

・教祖・教義・救済がいわゆる宗教の基本3点セット。ただし、神道にはこれらがなく、狭く宗教を定義すれば、神道は宗教ではない。

・救済に加えて宗教理解に重要な概念が「超越的存在」。超越的存在を認識することで人間は初めて主体になることができるとも言われる。宗教や国、物語。。。人間はどこかで超越的存在を欲している(→もう少し深堀が必要)。

・初期仏教(ブッダの教え、超越的存在を認識せず)は自己救済を目指したが、大乗仏教(仏・菩薩等超越的存在を認識)は自己救済に加えて他者救済(仏・菩薩→信者→一般)を視野に入れている。

・仏教は、初期仏教と大乗仏教では、超越的存在を認識せずvs認識する、自己救済vs他者救済と真逆の側面があり、似て非なるとも言える。これが、仏教の分かりずらさの核心だ。もっとも、一般の人にとって、仏教は葬式(形式)仏教≒文化だ。つまり、仏教は現代社会において、初期仏教、大乗仏教、葬式仏教の3層構造になっている(→わかりずらい)。

・個人的に、中高大はキリスト強の学校に在籍、特に2011年の父の死後には葬式仏教と向き合うことになり(2024年墓じまいで再度葬式仏教と向き合っている!)、最近は知人を介して大乗仏教に対する理解を深めた(信仰の対象ではなく興味の対象)。ようやく、宗教について、一定の深さを持った理解が可能になった。私としては、神道と初期仏教(ともに狭義に宗教を定義すれば宗教ではないもの)にフィット感がある。

【今日の1日/曇】6時半起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。朝食。墓じまい対応対応。郵便局。昼食。宅建対応。会社事務。10人宴席@千駄ヶ谷。就寝。(一言)昨日、きらぼし銀行の窓口で、子会社のネット銀行での口座開設を進められた。なんと、行員の前で自分のスマホを使ってペーパーレスで銀行口座を作った! 時代は変わった。

【短期目標=足元】まずは身体のことを考え(「食事+睡眠+運動」)動きながら考える(便は心身の状況を雄弁に語る!)。大きなグランドデザイン+目的軸を意識しながら今に集中する(不用意に過去・将来に思いを馳せず他者比較は自己認識するためだけに行う)。「第一の矢」(潜在意識→感情→顕在意識)は受けるが「第二の矢」(過去・将来に無駄な意味づけ)は受けない。ポジティブな感情・意識にはポジティブなものが集まってくることを意識(ネガティブな言葉を自らが発するとパワーが削がれる)。結果として「心の平穏+生きる推進力」および「人間≒脳≒心」に対する洞察を得る。「知識+技能+道具+思考+協調=世界観+生活=習慣」を意識。予定=期日は推進ツールとして重要。ワクワク感を大切に(←変化を取り込み続ける)。タスクリストを有効に利用して目的・目標に向かう。間(ま)を有効に利用する。【中期目標=日次】INPUT⇔OUTPUTの好循環→ブログコンテンツ蓄積↑(言語力)。箱根峠宅の庭構築・利用↑(空間力)。家計認識・運営↑(数字力)。【長期目標=年単位】人生の結章:ブログ→「卒サラ@還暦してわかった人間≒脳≒心! 人類学と脳科学の知見で世界観を作ってみた 要は心の持ち方次第!」を出版(内省力、科学的知見を梃子に人間を哲学する)。ファミリーツリー運営+自然と共生/神道・神社で自然のパワーを認識。【メモ=死を知っているのは人間だけ、友達がいるのは人間だけ】70才まで9年弱、80才まで19年弱、90歳まで29年弱(初孫28才)、100才まで39年弱。人間には、自らの根源に生きるためにチャレンジする力がある一方で、生存をより確実に確保するためにブレーキ機能(無駄なことをさせないように飽きさせたり、期日がなければ無理しないようにさせたりする等→多種類のことを短時間に回転するように対応)もあることに留意。忘却力も生きる知恵(≒時間を利用して心をコントロール)?

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