死を意識

人は死を無自覚であれ意識している。結果として「物語」「創造性」「味わい」を志向している。

①「意味づけ」※が好きで、物語・人生観・歴史観などが生まれる。②死への恐れを前に迂回路(宗教、哲学、芸術などの抽象領域)を発達させた。③死を無意識に意識すると、中立点より安全側に振れる。食料、財産、地位、所属。合理的ながら、過剰な不安、他者との比較、競争の激化も生みやすいので要注意。④一方で、死の意識は創造性のエンジンにもなる。何かを創りたい、次世代に渡したい、自分を超えたものと接続したい。⑤人生の有限性をより感じる卒サラ後は、思考は速さより深さ、行動は成果より味わい、他人軸ではなくて自分軸となる。

※ 人が「意味づけ」を求めるのは、単なる性格や文化の問題ではなく、人間という生き物の構造そのものに根ざしている。味づけは真理ではなく脳の設定の結果生まれる。意味づけは、正しい/間違いではなく、生きやすい/生きにくいという次元のもの。

① 進化的理由:不確実な世界で生き延びるため。人類は、常に予測不能な環境で生きてきた。「いま起きた出来事は何か」「次にどう備えるべきか」を素早く一つの物語にまとめる能力は、生存率を高めた。意味づけとは、バラバラな出来事を「因果」や「教訓」に変換し、次の行動指針にするための圧縮アルゴリズム。意味がない出来事は、次に活かせない。だから人は、本能的に意味を探す。

② 脳の性質:脳は「意味生成装置」。人間の脳は、事実をそのまま保存するよりも、解釈、文脈、ストーリーとして記憶するよう進化。同じ出来事でも、「失敗した」「学びだった」「避けられない通過点だった」という意味づけ次第で、感情・行動・記憶の定着が変わる。つまり意味づけは、感情の調整装置でもある。

③ 心理的理由:安心と自己一貫性を保つため。意味づけがない出来事は、理不尽、偶然、制御不能として感じられ、不安を生む。人は無意識に、「世界は一応、理解できる」「自分は無意味に振り回されているわけではない」という最低限の秩序感を保とうとする。意味づけは、混沌の中に「仮の地図」を描く行為

④ 存在論的理由:「私は何者か」を保つため。人は「出来事そのもの」ではなく、それをどう意味づけてきたかで自分の人生を語る。あの転職は「逃げ」だったのか、「自分を守る選択」だったのか、次の章への移行」だったのか、意味づけは、自己物語(ナラティブ)を編み続ける作業。これがなければ、「私は誰か」が分からなくなりる。

若い頃は、社会的意味、他人基準の意味が主導権を持ちやすい。一方、人生後半になると、自分の身体感覚、日常の手触り、積み重ねた時間に合う意味づけでないと、心が納得しなくなる。ここで意味づけは、思考の作業から生活生活全体の調律へと移行する。一言で言えば、人が意味づけを求めるのは、不確実な世界で安心して生き続けるために、人間が手に入れた「生存と自己統合の技術」。「卒サラ後」に起きていることは、意味づけの主導権が、社会から自分自身へ戻ってくる現象。

【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。オイルうがい+白湯+朝ヨガ。朝食。執筆。昼食。執筆。4人宴席@新宿三丁目。就寝。(一言)

【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)心配事の9割は起こらない 枡野俊明

【OUTPUT】マンダラチャート維持

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