満足感

現役時代、私が「満足」を感じていた瞬間を振り返ると、その多くは結果や評価と結びついていた。仕事をやり切ったとき、数字が出たとき、周囲から一定の評価を得られたとき。そこには達成感があり、納得感もあった。しかしその満足は、振り返ってみるとどこか表層的で、長くは続かなかった(満足感を感じるのは一瞬だった)。次の課題、次の責任、次の評価がすぐに視界に入り、満足感は短時間で霧散していった。

その構造を今なら理解できる。当時の満足感は、顕在意識の中で完結していた。目標を設定し、努力し、結果を出し、それを「良し」と判断する。満足とは、判断であり、評価であり、意味づけだった(顕在意識で完結していた)。身体がどう感じているか、潜在意識が安心しているかは、ほとんど考慮されていなかった。むしろ、達成感を得る過程で、多少の疲れや違和感があっても、「まだいける」「今は踏ん張りどころだ」と顕在意識が無理強いをすることが多かった。

卒サラ後、生活の重心を「運営」に移したことで、この順序が反転した。まず整えるべきは、予定でも目標でもなく、日常の状態になった。睡眠、食事、動き、空間、時間の流れ。身体に無理がなく、潜在意識が警戒モードに入らない状態を丁寧につくる。すると、ある日ふと、「今日はいい一日だったな」という感覚が、理由抜きで立ち上がってくるようになった。

その満足感は、達成の結果ではない。何かを成し遂げたわけでも、評価されたわけでもない。ただ、無理がなく、違和感が少なく、静かに回っていた一日。その状態を、顕在意識が後から「満足」と呼んでいるにすぎない。現役時代の満足が思考の産物だったとすれば、今の満足は(潜在意識と身体が感じる)状態の副産物だ。この賞味期限は一瞬ではなく、一定の間続く。

この違いは小さく見えて、本質的だ。人生の後半を長く回し続けるために必要なのは、満足を「つくりに行く」ことではない。満足が自然に立ち上がる状態を、日々淡々と整え続けることなのだ。

【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。オイルうがい+白湯+朝ヨガ。料理(スワンラータン)。朝食。執筆。ChatGPT。昼食。執筆。買物。夕食。就寝。(一言)

【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)心配事の9割は起こらない 枡野俊明

【OUTPUT】マンダラチャート維持

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