無明の闇

エッセー 宗教観 を書き上げた。最近の私の興味である人類史と脳科学を追っていたら「ブッダが言ったことによると」のようなコンテンツが沢山検索結果に現れ、「ブッダ→仏教→宗教→日本の宗教一般」と興味の対象がポンポンと横に広がり、一気呵成にまとめてみた。お陰で、日本の精神世界についてが自分なりに整理できてよかった。

改めて考えると(with最新の人類学や脳科学の知見)、ブッダの発見って極めて単純な事なように思う。人間の苦しみはすべて「無明」から始まると。自分が感じている苦しみを取り除くことができるのは自分自身だけだで、外部世界に苦しみを消し去ってくれるような超人的存在はいないとし、瞑想の力を使って心の内側を精密に観察し、苦しみの根源がどこにあるかを見つけただけの単純といえば単純な話だ。一方で、以後、取り巻きの連中によって、その教えは、権威付けられ、装飾され、複雑になって、偉大そうな、「ありがたい教え」に変化した。ブッダの悟りの研究書やお経などが大量に作られた。ブッダによる無明の発見(ダイヤモンド原石)は研かれ、カットされ、金の台に乗せられ、高級なケースに収められ、ショウウインドーに飾られることとなった。それが今日の(特に日本の)仏教の姿では?

実は、真に尊いのは、無明を発見した瞬間のブッダの感覚のみで、その瞬間(無明の闇を破った時)の感覚を共有することのみかも。人の心の劇的な変容(ブッダの悟りの境地)を他者が完全に理解することは不可能であるが、その概要を知ることは可能だろう。「なんだ、人生とは、こんな単純なことによって支配されているのか!」と腹落ちして、自分に当てはめ、各自が心のコントロール手法をあみだし、何事にも動揺しない「心の平穏」を構築すること重要なのでは。しかし、これを実際に実行しょうとすると、自己の中で一種の「ブレーク」が必要だ。

人間は、生存&生殖を目指す動物であり、明確な自己意識・自我があり、意識と無意識の複雑な認知システムを持ち、時間軸を持ち生の有限性(自らの死)を理解し、狩猟採集時代のリスク感覚・最大150人の共同生活感覚を引きずる人間の脳(=心)が、現実世界を自己中心に/複雑に/一定の目的に沿って観ているからだ(ブッダは、生きるためのツールである脳=心が、結果として持っている心のさまざまな苦の根源をまとめて「煩悩」と呼んだ)。平たく言うと、人間は生き抜くために色眼鏡/思い込みで世界を見ている(→一方で、それが苦を生む)。それを乗り越えるためには/中立化するためには、気づき・知恵・想像力・鳥瞰力が求められる。決して、修行(←ブッダ自身の試行錯誤)が求められているわけでなはい。

この辺りの感覚は文章で書くのは実に難しいが(だから、現在の仏教が初期仏教から大きくずれた!?)、ブッダの言わんとすることが分かりかけてきた気がする! 「ブッダが言ったことによると」のようなコンテンツが沢山検索結果に現れて「人類史・脳科学→ブッダ→仏教→宗教→日本の宗教一般」と興味が横に展開したが、元に戻って、やっぱり、人間を深めるために今必要なのは人類史と脳科学だ!! 人間が脳の発展を梃に食物連鎖の絶対的頂点に上り詰めた歴史、及び、その脳の本質に迫らねば。

【今日の1日】7時起床。朝風呂。朝食。情報byTV。ブログ書き。SNS受発信。昼食。2週間分の郵便受領・処理。エッセー書き。大相撲鑑賞。買物。夕食。 (一言)WBCの盛り上がりがすごいね。

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