生成AIの先に「思考AI」、そしてその先にもっと人間に近い「生活AI」「生存AI」がイメージされているのかもしれない。しかし、人間は、「生活AI」「生存AI」を構想できるほどには、人間そのものを理解していない。
私たちが理解しているのは、言語化でき、説明可能で、評価や最適化ができる顕在意識のごく表層にすぎない。その下にある、はるかに大きな潜在意識――身体感覚、安心と警戒、環境との循環、行動原理が静かに書き換わっていくプロセスについては、存在を知っているだけで、構造的にはほとんど分かっていない。
にもかかわらず、人間は長く社会を回してきた。なぜなら文明は、人間を「生きる存在」としてではなく、「機能する存在」として扱うことで成立してきたからだ。その運営には、潜在意識や身体の仕組みを深く理解する必要がなかった。
だから今、「生活AI」「生存AI」を本気で作ろうとすると、技術ではなく、人間理解そのものが壁になる。それを作るために必要なことを、私たちは知らなさすぎる。
一方で――人間は、すべてを理解しなくても、生きることはできる。
生活を整え、睡眠を整え、身体の違和感を無視せず、気持ちよさ・軽さ・安心を判断基準に戻したとき、理屈を超えて人生が「軽く回り始める」瞬間がある。私はそれを経験した。それは、人間のメカニズムを理解したからではない。人間のメカニズムに逆らわない位置に、身体ごと入り込めたということだ。人間は、理解によって生きているのではない。ただ、噛み合ったときに、少し生きやすくなるだけなのだ。
【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。オイルうがい+白湯+朝ヨガ。朝食。会社事務。昼食。執筆。知人とお茶@麻生十番-買物。夕食。就寝。(一言)
【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語-自己・人間・世界を再解釈してみた」ドラフト
【OUTPUT】マンダラチャート維持
