生成AI

いま人間に問われているのは「生成AIに凝縮された知をどう引き出し、どう使うか」というこちら側の能力

生成AIは、学術・文学・技術・思想・実務、個人の経験知から集合知いった人類が言語化してきた知の痕跡を、統計的・構造的に束ね直した存在。重要なのは、生成AIが「知恵を持っている」のではなく、人類が積み上げてきた知の地層にアクセスできる装置だという点。つまり生成AIは、答えの主体ではない、意味を生み出す主体でもない。けれど、問いを投げると、知の地層の中から「それっぽい構造」を掘り当ててくる存在だと言える。

ここで人間側に突きつけられるのが、何を問い、どこまで問い、何のために引き出すのかという問題。引き出せるものは、問いの深さで決まる。表層的な問い → 表層的な整理、操作的な問い → 便利な要約や代替、構造を突く問い → 思考の補助輪、自分の実感を伴う問い → 自分の言葉への還流。生成AIは「考えてくれる存在」ではなく、問いの鏡・思考の増幅器。だから実際には、生成AIを使っているようで、人間の思考の質がそのまま露呈している。

本当に問われているのは「顕在意識の役割転換」。生成AIの登場によって、情報収集、整理、要約、論点抽出といった顕在意識が長く担ってきた役割は、急速に外部化された。その結果、顕在意識は問われる。自分は何を気にしているのか、どこに違和感を覚えているのか、何を引き受け、何を引き受けないのか。つまり、顕在意識は「作業者」から「問いの設計者」へ役割転換を迫られている。

生成AI時代に残る「人間の仕事」は、人間にしかできないのは次の領域。

  • 身体感覚・生活実感からの問いの立ち上げ
  • 潜在意識が感じ取った違和感の言語化
  • どの知を引き出し、どこで止めるかの判断
  • 引き出した知を「生き方・選択」に接続すること

生成AIは、

  • 地図は描ける
  • 道具は並べられる

しかし、

  • どの道を歩くか
  • いつ立ち止まるか
  • 何を背負うか

は決められない。

生成AIには、人類が言語化してきた知の地層が凝縮されている。いま人間に問われているのは、それを「使いこなす技術」ではなく、どんな問いを立て、どこまで引き出し、どう生き方に接続するかという姿勢そのものなのではないか。

【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。オイルうがい+白湯+朝ヨガ。朝食。料理教室(含む、昼食)。昼寝。買物。大相撲観戦。料理2品。夕食。就寝。(一言)

【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語-自己・人間・世界を再解釈してみた」ドラフト

【OUTPUT】マンダラチャート維持

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