同じ「生活」という言葉で語っても、その意味合いは、似て非なるものであることにも気が付いた。狩猟採集脳の奥底に残っている「生活」――すべてがそこで完結していたという意味をもつ――と、私たちが思い描く「生活」――すべてがそこに完結しておらず、活動のための基盤という意味をもつ――とでは、その前提が大きく異なっている。言い換えれば、文明社会では、生活は「世界に出るための基盤」へと格下げされているのである。
手を入れるべきだったのは、脳が前提としている生活の形を、実際に送っている日常へ、どのように落とし込むかという点だった。なぜなら、安心や納得――人間が安定して生きるための基盤――をつくり出しているのは、顕在意識による考え方ではなく、日々どのような生活が繰り返されているかという実態に反応している、潜在意識や身体だからだ。さらに突き詰めて言うと、生活以外に手を入れる場所が見当たらなかったというのが本音かもしれない。深い安心や納得を求める心の琴線は、目標とか道徳では触れることができず、生活でしか触れることができないと感じた。
【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。オイルうがい+白湯+朝ヨガ。料理1品。朝食。料理1品。確定申告準備(会社・個人)。買物。大相撲観戦。夕食。就寝。(一言)
【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語-自己・人間・世界を再解釈してみた」ドラフト
【OUTPUT】マンダラチャート維持
