贅沢

何かの記念日に花を買って帰ることは贅沢? その花が必要かどうかといえば必要ではないかもしれないが、高いから買わないとか、花を買ってもお腹は膨れないというようなことを言い出せば、味気ない人生になってしまう。また、贅沢にお金は必ずしも要らないとも言える。高価で大きな花束を買う必要はないし、夢はお金では買えない。世の中にはお金では価値が測れない贅沢がたくさんある。

辞書にある普通の意味で贅沢と思うのも、必要だからこれは贅沢ではないと思うのも、いずれも生産性に価値があると見ること(←資本主義発想に毒されている)が根底にある。本当の贅沢は、生産性・有用性・経済性とは関係ないところにある。確かに、人生は生産性・経済性から完全に自由にはならない。しかし、人生を豊かにする贅沢な生き方もあるはずだ。人は幸福であるために贅沢をする。辞書にある普通の意味での贅沢な生活をしていても、幸福だと感じていないのであれば、本当の贅沢と言えない。自分がしていることで幸福であると思えたら、生産性・有用性・経済性とは関係なく、それが贅沢ということである。贅沢・幸福は、各人固有なものだ。

「貧すれば鈍する」ライン以上の経済力が保てるのであれば、アップサイドは「人生を豊かにする/幸福を感じる(贅沢)かどうか」が判断基準だ! 脱生産性・有用性・経済性一辺倒な発想。自分に中に、資本主義に毒されない部分を保持・拡大する必要がある。

【今日の1日】晴。6時半起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。朝食。出版構想。昼食。温泉-焚火-読書-温泉。夕食。就寝。(一言)

【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)人生は気分が10割 キム・ダルス著

【OUTPUT】マンダラチャート維持

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