加齢とともに「面倒臭い」と感じることが増えるのは自然な現象でなようだ。衰えの兆しであると同時に、人生を見極める力でもある?
①身体的な変化。。。体力や持久力の低下。長時間の移動、人混み、重い荷物などが「面倒」に感じやすくなる。また、回復力の低下により、疲れが抜けにくく、「後がしんどい」と予測して行動を避けるようになる。②心理的な変化。。。「効率」や「必要性」を重視するようになる。。。若い頃はなんでも経験と前向きに捉えていたことが、「やる意味ある?」と冷静に吟味されるように。また、新しいことへの抵抗感から、新しい技術、ルール、人間関係などへの適応が億劫に感じやすくなる。③「取捨選択」が洗練されてくる
(ポジティブな側面)。。。「面倒くさいからやらない」というより、「やらなくていいことをちゃんと見分けられるようになった」とも言える。④「経験の厚み」による合理化。。。「ああいう場面ではこうなる」といった経験が蓄積されているため、行動する前にシミュレーションが働く。その結果「やらなくてもいい」と判断しているのかも。⑤面倒くささとの付き合い方も進化する。。。若い頃は「やらなきゃいけない」で突っ走っていたことが、年齢とともに「やらないという選択」も可能に。あるいは「やるなら、どう快適にやるか」「いかに人に頼むか」といった工夫が生まれる。
一方で、「面倒くさい」と感じる自分に逆らって一歩を踏み出すには、根性論ではなく、自分の心と対話しながら背中を押す仕掛けが必要。結果として、「自分で動けるうちに動く」「老いを自覚しながら、なお主体的に生る」「生きてる実感を得る」ことができる。
① 小さく始める「スモールステップの力」。。。一歩が大きすぎると、ますます面倒に感じる。面倒くさがっているのは「全体像」であって、「最初の一歩」ではないことが多い。② 行動の前に「問いかけ力」を使う。。。自分に聞く:「これは本当にやらなくていいのか?」「やらないことで、何を失う?」「今、ちょっと動けば、明日が楽になる?」「面倒くさいと感じているのは、体?心?それともプライド?」③ 「未来の自分」と会話する。。。面倒を避けた自分 vs 一歩踏み出した自分。3時間後、3日後、3年後の自分がどう思うかを想像。未来視点に立つと、今の自分が「だだをこねている」ように見えることがある。④ 「習慣」や「場の力」を使う。。。意志ではなく、仕組みで動く。ルーティンに組み込む。誰かと約束する。⑤ 「やった後」の感情に注目する。。。」「ああ、やってよかったな」と感じた記憶を引き出す。終わったときの爽快感、充実感、誇らしさは、面倒くささを超えるエネルギーになる。「面倒<達成感」という成功体験の積み重ねが効く。
【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。朝食。中野-柴又-昼食-小岩-葛西臨海公園-喫茶-有楽町-中野。不動産対応。夕食。阪神タイガース観戦。(一言)阪神、7連敗。。。
【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか by 今井むつみ・秋田喜美
【OUTPUT】マンダラチャート維持
